認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com

阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

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2014.09.12 Fri 東日本大震災の「今」

被災地NGO協働センター 増島様のレポートを転載いたします。
3年半が過ぎた被災地の「今」です。  
…………………………………………………………………………………
 東日本大震災から3年半の節目を迎えました。
紙面では「24万人避難生活続く」「進まぬ住宅再建」「入札不調震災前の4倍」
「仮設生活 今も8.9万人」「」などまだまだ先行きが見えない深刻な見出しが。
道路をつくるため、防潮堤の工事など公共工事は進んでいますが、
それより先に、高台への避難路、復興住宅、高台移転など、被災者の暮らしを優先した復興が
なぜ後回しになるのでしょうか?

釜石市で、当時の津波の話を伺うと、
「あの時は、高い方高い方に逃げて、やっと避難所にたどりついた」
「お父さん(息子さん)の遺体の上を知らずに通っていた。」
「私は、チリ津波、十勝沖津波、今回と3回も津波に遭った」
恐ろしかったであろう出来事を、ぽつぽつと語ってくださいました。

陸前高田の、第一期の復興住宅が完成し、来月から入居が始まる方は
「毎日、津波の話、聞かねぇ日はないな」
「仮設もバラバラ、またバラバラだ」
「また、せまっこい中、はいらな、わかんねぇんだ」
(次も狭い復興住宅に入らないといけないんだ)
「復興住宅入ったら、もう花もできねぇ、今年で終わりだ!」
と、安心した暮らしがまだまだ送られていない声が。
動物も一緒に住める住宅も建設され、小さな配慮も考えらけているようですが、
基本的なコミュニティが、どんどん崩壊しています。

阪神・淡路の教訓が、充分にいかされず、2度も3度もコミュニティを崩され、
復興住宅での孤独死などはいまも続いています。

釜石で復興住宅へ入居した方は、ボランティアも減っていく中で
入居後は、ほとんど外に出ることもなく、
家の中で過ごし体調が思わしくないという方も少なくありません。

今回広島で起きた土砂災害の被災地では、仮設は建設されず、
既存の住宅への入居が進められています。こちらでもコミュニティの崩壊が起きつつあります。
住み慣れた環境においてコミュニティの崩壊は、心も体も崩壊させてしまいます。
そんな声なき声に耳を傾けることが、本当の意味での町の復興には欠かせません。

ある方は、「最近私は傾聴ボランティアの講習を受けている。避難所でも何もやらせてもらえず、
私たちに何かやらせて欲しい」と、おっしゃいました。
人は、支え、支えられる・強者、弱者り関係ではなく、
双方向に支え合える関係が大切なのだと、実感しました。
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2012.04.12 Thu 被災地障がい者センター宮古にボランティアに行ってきました。

 今年の3月で日本財団を退職された千葉寿夫さんがゆめ風基金を通じて被災地障がい者センター宮古に行かれた感想を送っていただきましたので、紹介させていただきます。
 千葉さんは「アジア途上国障害情報ブログ Blog for Asia Disability Information」というブログを運営されていて、アジア途上国の障害者情報の発信とご自身の障害者支援活動を報告されています。


「被災地障がい者センター宮古にボランティアに行ってきました」
「ゆめ風基金」さんのご紹介で「被災地障がい者センター宮古」に3月20日~29日までボランティに行ってきました。現地では主にセンターの紹介であるポスティング(ビラ配り)や障害者や高齢者の送迎、自宅訪問、そして事務所の掃除からゴミ出しまで、多くのことをやらせて頂きました。
 現地スタッフの中には、昨年の震災後直ぐに現場に駆けつけ、既に1年近く活動を続けている人もいらっしゃいました。現地に密着した、人情味あふれるセンターで活動できたことを、現地スタッフと「ゆめ風」基金の皆様に感謝致します。
 
 被災地障がい者センター宮古は、今後、地元スタッフも雇用し、ますます地元未着型で地域に根付いた支援を実施していくと聞いています。また5月のゴールデン・ウィークにはスタッフと利用者さんで花見を企画しているそうです。これからもセンターが被災地の障害者の支えとなり、交流の場、笑顔の場となることを願っています。苦労も多いかと思いますが、センターの発展を期待しています。今回は、本当にありがとうございました。

千葉寿夫

アジア途上国障害情報ブログ Blog for Asia Disability Information(千葉さんのブログ)

2011.12.24 Sat はり灸レンジャー ~鍼灸震災ボランティア~

 3月11日の東日本大震災を受け、鍼灸師のボランティア・グループが被災地での支援活動をされていると、以前このブログでも紹介しましたが、現在7名の方がメーリングリストで連絡を取り合い、情報を共有し、支援活動を継続されています。
 5月の第一次訪問は、被災地障がい者センターみやぎの支援活動として、障がい者の安否確認や介護、障がい者のいる家庭の生活支援、津波の被害にあった家屋のゴミだし、行政などに情報をつなぐソーシャルワークなどに従事されました。
9月の第2弾ボランティア活動は、
 1.鍼灸の業界団体とは別ルートで、現地の組織・人々と連携し、主に障がい者・高齢者の施設・団体・仮設住宅を回る。
2.可能な限り継続性をもって、顔と顔、名前と名前のなじむ関係作りを企図する。
3.一過性の治療のみでなく、ローラー鍼やせんねん灸など簡易灸を配布し、ツボの処方を行ない、被災された方々が自己ケアできるよう提案する。
4.鍼灸治療が第一義であるが、治療を通じて聞き取った被災者の声を受け止め、福祉機関などと連携し、一種のソーシャルワーク的な活動も視野に入れる。
などを念頭に、仮設住宅を中心に苦しみの声を挙げきれない被災者と出会い、少しでも心身の苦痛を取り除く活動をされました。
 2012年3月に第3回目の訪問を計画中とのことです。

「前回訪れた被災者や現地スタッフのその後の様子をうかがう(継続支援)。大震災から1年経過した現地での生活ぶり、健康状態を確認し、鍼灸支援の方法の練り直しも行なう。
 訪問先が、宮城県の北東部(三陸町)から、福島県の郡山市まで広域であるため、チーム編成を行ない、地域ごとに鍼灸師グループで担当者を決めるのも一案。たとえ頻繁に訪問できなくとも、顔なじみのAさんが季節ごとに鍼灸治療に来てくれる、と受け止めていただけると嬉しい。細くとも長く支援が続くことが、被災者の方々を「いつまでも忘れずに見守っている」というメッセージを送ることにもなるだろう。」(ブログより)

 くわしいレポートは、ブログを開かれましたので、ぜひごらんになってください。
はり灸レンジャー ~鍼灸震災ボランティア~

2011.11.18 Fri 被災地障がい者支援センターに行って

政治参加ネットのメールから転載です。

[seijisankanetML][00783]
被災地障がい者支援センターいわて
2011年11月14日 月曜日 午後1:07

皆様 八幡様

 9月のはじめ、被災地障がい者支援センターに行って来て、その様子を報告しますと勇ましく言っていたのに、今頃の報告になり、ほんとうに申し訳ありません。
 八幡さん、その節は大変お世話になりました。
 もう盛岡も大船渡も寒いでしょうね。
 以下、長いですが、私のブログにも書いた2ヶ月前の報告です。

 9月5日いわてのセンターの事務所に行く直前に、電車を下りる時に足をくじいてしまい、痛みをこらえてやっと被災地障がい者センターいわての事務所にたどり着きました。
 笑顔で迎えてくれた八幡さんや事務所の人に「大丈夫です。」と、私も笑顔であいさつしましたが、実は足の痛みで頭がいっぱいだったのです。「運転できますよね。」と聞かれ、「いえ運転できません。」これが一番事務所の皆さんをがっかりさせたようです。
 津波で被災した沿岸部へ支援に行くためには、車で2時間半山を越えて行かなければなりません。往復で5時間。支援に行くためには車の運転が必要なのです。支援センターの事務所には、スケジュール表が貼りだしてあり、ポストイットがたくさん貼ってあり、どのようなニーズがあり、だれが支援に行くのかが一目で分かるようになっています。私は、翌日、大船渡市の障害者用仮設住宅に住んでいる人に聞き取りに行くことになりました。
 事務所の上がボランティアが宿泊できるアパートになっていて、沖縄から長期に支援に入っている女性といっしょに泊めていただきました。八幡さんは1階の事務所の裏で寝泊りしているそうです。
 食事は交代でつくり、夕食が終わったらミーティングをして、情報の共有と明日の予定を確認しあいます。
 痛い足は大きく腫れなかったので、経験上、骨折ではなく捻挫だと自己診断し少しは安心しました。(私は今まで何度も足首を骨折したり捻挫したりしています。)翌朝は、少しは痛みもおさまり、関西から来たボランティアの青年と長期で支援に入っている青年の運転で、大船渡市に向かいました。美しい景色の遠野を通り、運転できない私はただ乗っているだけで申し訳なかったです。
 大船渡市の障害者用仮設住宅に住んでいる人にお話を聞きました。住宅は木造で外側にはスロープや視覚障害者用の誘導ブロックがありました。しかし、住宅の中は障害のある人にとって使いやすいものになっていません。台所は流しの下は収納がなく、車いすが入るように空いていますが、なべなどの収納が上の手の届かない吊り戸棚になっていて、結局台所用品を床に積み上げることになり、台所は車いすでは回転ができない狭さになっています。 風呂場に入るには段差があります。部屋の引き戸は重くて開けられません。危ないからベランダをつけて欲しいと要望していた掃きだし窓は、転落事故があってから、やっとベランダがつけられたそうです。障害者用仮設住宅だというのに、障害者が住んで不便な状態になっているのには驚きました。なんでこんなことになるのかが、一番の問題です。
 住民の方からお話を聞いて帰ろうとした時に、この仮設住宅の一部屋に配置されている生活支援員の人から、勝手に来ては困る、支援員に断って欲しいと声をかけられました。大船渡市は障害者用仮設住宅だけでなく、すべての仮設住宅の団地の中の一部屋に生活支援員を9月から置いたそうです。他の仮設住宅に住んでいる人達からも支援員というより、管理員のようだと言われています。民間の業者に委託されていて、支援員の人もどうしていいかわからず手探り状態のようでした。
 あれから2ヶ月がたちました。冬は雪で山越えもむずかしいので、沿岸部に支援の拠点を設けたいと八幡さんは言っていました。長期に支援していくためには地元で支援センターの職員を雇用していきたいと言っていました。 9月も地元の若者が支援センターの非常勤職員として仕事をしていました。被災地障がい者支援センターを支えているのは、全国の人々から寄せられる「ゆめ風基金」へのカンパです。私達は「ゆめ風基金」へカンパすること、継続的に被災地を支えていけたらと思います。 
                                              佐藤浩子

2011.10.25 Tue 障害当事者ボランティアレポート

障害当事者ボランティアレポート
2011年10月4日
精神障害者当事者団体「いこいの場ひょうご」
高瀬 建三

ゆめ風基金御中

「被災地障がい者センターみやぎ」をご紹介くださり、有難うございました。
お礼申しあげると共に、上記センターでの5日間を報告させていただきます。

9月29日(木)
宝塚市の自宅より宮城県O市のWさんの自宅へ直行。途中、仙台空港上空より目にしたのはまだ地震と津波の爪あとがくっきり残る光景だった。付近は水をかぶり、JRから代替バスによる1時間弱でJR仙台駅着。仙台駅近辺は私の知る30年前とは別の町に変ぼうし、高層ビルが林立していた。
 仙台からWさん宅まではJRバスで1時間弱。バス停で待っていてくれていたWさんと固い握手。市営住宅のWさんの自宅へ徒歩10分。「下戸」な二人は鍋を囲んで歓談。さまざまな分野の話に及んだ。
 Wさんは宮城県内の精神病院(今は精神科病院)に30年間社会的入院。現在63才だから人生の半分を精神病院で過ごしたことになる。Wさんは病院時代の事を殆ど語らない。
 Wさんの「今」は自由に尽きる。1、2階共有のメゾネット住宅が長屋のように10戸くらい並んでいる。それが数棟。Wさんはそこの自治会長を数年つとめている。往き交う人々が声をかける。人望が厚い。モダンジャズが好きで「BOSE」で流している。静かに夜が更けていき、明日は仙台市内の精神障害者の団体へ連れて行ってくれる約束をして、私の最初の目的であるピア・サポートを果たして就寝した。

9月30日(金)
 仙台市太白区の「宮精連」(宮城精神しょうがい者団体連絡会議)のYさんに会う。精神医療、福祉問題を長時間話し合った。
 その後、太白区長町の「ピアサポートセンターそら」のKさんと会った。Kさんとはまだ暑さの残る東京で会った病友の女性だ。お互いに「震災ネットワーク」を作ろうと「阪神・淡路」「新潟・中越」「東日本」と仲間が集い、力強いネットワークを築いていく固い約束をし、2つ目の「ネットワーク」作りの目的を果たし、別れた。
 話は変るが、この夜「センターみやぎ」で食事作りをした。「かぼちゃのいんげん炊き」、「茄子とピーマンの煮びたし」、「冷奴の甘みそがけ」の3品だ。思ったより好評で、日頃のヘルパーの経験が活かせた事をうれしく思った。夜は近くのマンションでボランティア3人と計4人、6畳2間で就寝。

10月1日(土)
 少し風が強いが快晴。Tさんの運転でSさんと山元町方面へ向かった。途中、常磐線の亘理(わたり)町から山下駅の間、ガレキの山と使えなくなった住宅が数棟建ち残っている現場を見せていただいた。まだ新築の家も多い。
 近くの「ささえ愛山元」の開所記念式典に参加した。盛大だった。昼食をいただき、山元町の仮設住宅へ。「パラソル・カフェ」を楽しむためだ。もちろん主人公は仮設住宅の方々。風が強くパラソルは使えなかったが、多くの人々に参加してもらい、成功裡に終わる事ができた。「近くで沢山とれる」という「いなごの佃煮」を仮設住宅の方にもらった。おいしかった。
 この日はTさんが被災各地を案内して下さり、テレビや新聞でしか知らなかった被災地の現状を目のあたりにして、惨状を前にしてカメラを押す指も心なしか震えた。福島県境まで行き、立ち入り禁止の札と太平洋の荒波を前に足がすくんだ。私はこの日、山元町の仮設住宅でピアサポートをするためにやってきた。しかし、家族を、家を、仕事を失った人々の前で私は無力だった。「阪神・淡路」の体験を、「仮設住宅での実体験」を共に語ろう、傾聴しようと思ったが、被災地の方々は明るい希望の持てる話題を心から欲していた。これまで多くの関西系の「阪神・淡路」体験者の来場に「心」はどう動いたのか。私はどう話しかけ、どのように接して良いのかわからなくなり、現状を叩きつけられ、つきつけられた思いがした。
 「仮設住宅住民とのピアサポート」は実現しなかったが、被災地をこの目で見たという強い感覚は忘れない。TさんとSさんに感謝しつつ、仙台へと帰路についた。
 夜、宿舎近くの銭湯へ。一人で行ったので道に迷い、冷や汗をかいた。初めての土地では慎重な行動を、と改めてそう思った。

10月2日(日)
 休日。青葉区の図書館で情報収集。朝日新聞(東京本社)縮刷版の2011年3月分を何枚かコピーした。気のせいか「3・11」の記事は関西で目にしたものとは違って見えた。精神科医の中井久夫先生の記事もあった。

10月3日(月)
 来仙最後の日。朝からセンター事務所でミーティング。私は昼食の炊事当番に手をあげた。メニューは親子丼、サラダ、吸い物。早速、隣のスーパーへ買い出し。事務所近くは被災地の修理工事の最中だった。20世紀梨をむきながらTさんといろいろ話をした。「閖上(ゆりあげ)」地区の惨状をまとめた写真集を買って読んだ。前日の夜、NHKで「閖上」の特集をしていた。とても哀しい、忘れてはならない貴重な「時」を刻んだ本だった。

 9月29日に来仙してから多くの人達に会った。本当に良い人達に出会え、忘れられない日々を過ごした。帰路の仙台空港へのアクセス(JR線)が全線開通して仙台~仙台空港間が30分、630円だった。帰るのが寂しい。忙しい関西へ帰るのがしんどい。ゆるやかな「東北ペース」でボチボチと暮らして行こう。
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