認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com

阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

Home > 被災地訪問

--.--.-- -- スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016.03.14 Mon 3.11石巻訪問~N協・小西さんからの報告です

震災から5年目となった3.11。
大阪からも、仲間がたくさん訪問していました。
その中から、東淀川区の「ノーマライゼーション教会」の小西さんが、写真とレポートをおくってくれましたので転載します。




ここから転載

3月10日~12日、障害当事者の凪裕之さんとともに「被災地障がい者センター石巻」に行ってきました。
3月10日は、現地で、豊能障害者労働センターの本澤健太郎さん、石原礼さんと合流し、行動をともにしました。
事前に「ゆめ風基金」より預かった折り鶴(※東京の菅原武子さんが折って「ゆめ風基金」に送付いただいた折り鶴)を持って、箕田朗子さん、阿部俊介さん、石森祐介さんら石巻のメンバー、当日事務所に寄ってくれた阿部晃大さん、阿部陽子さんに思いを込めて届けました。

2月28日(日)に放映された「バリバラ」(NHK・Eテレ・バリアフリー・バラエティー)の「『東日本大震災から5年』①障害者の主張」の話題をはじめ、近況や現地の課題、今後の歩み等について話しをしました。

3月11日は、被災された阿部俊介さんの自宅跡で、黙祷・合掌し、祈りました。




その後、車で移動して、日和山公園で新田綾女さん、新田理恵さんとお会いし、上記「バリバラ」で放映された「避難タワー」にスロープの設置を求める要望や活動、近況等の話しをしました。
いろんなことを回想し、思いを馳せ、心に刻んだ一日でした。

3月12日は、電車で移動し、仙台市福祉プラザ(プラザホール)で午後1時30分に開催される「障がい者の防災を考える学習会」(CILたすけっと、ゆめ風基金共催)に向かい、開会前に、杉山裕信さん(たすけっと代表)、高橋愛美さん(たすけっとスタッフ)、豊川健さん(たすけっとスタッフ)、当日のナビゲーター・コーディネーターの(我らが)八幡隆司さん(ゆめ風基金理事)にごあいさつと安否確認。
菊池正明さん(奏海の杜)も参加され、お会いできてすごく嬉しかったです。
ごあいさつ&安否確認の後、会場を後にし、少し歩いていると、横断歩道の手前で、なんと!(仙台市福祉プラザに向かう)及川智さん(現・ありのまま舎、元被災地障がい者センターみやぎ代表、障害者プロレス「ODAZUNA」リングネーム・及川健二郎)とバッタリ遭遇!!
凪さんは、「及川さんに会いたい」と繰り返し言っておられましたので、思いが通じたのだと確信しました(笑)。
 
「被災地障がい者センター石巻」は、この4月から任意団体のまま、名称が「障がい者ベース 石巻にょっきり団」になるとのことでした。
「ゆめ風基金」や全国からの支援を受けながら、2011年10月「被災地障がい者センター石巻」が設立されました。
この「センター石巻」の背景・基礎・基盤には、当時よりボランティアで寄り添い、ず~っとかかわり続けた大薗拓郎さん(現・いこらースタッフ)の存在を抜きに語ることはできません。
私たちもその思いに共感・連帯し、それぞれのミッションでかかわってきた同志であると、心からリスペクトしております。
今後、この1年度は「ゆめ風基金」の支援により、継続して現在の石巻事務所の場所が確保されると聞いております。
今後の取り組みをどう進めていくのか、課題とミッションを展望して取り組まれていかれると思います。

これまで、当事者や親ごさん、地域住民、関係団体、教育関係者、様々なボランティア、マスコミ・報道関係者等をはじめ、本当に多くの人のネットワークをつくってこられた「被災地障がい者センター石巻」。
その「人のつながり」の持ち味、エネルギー、パワーを一層大切にして歩んでいってほしいと心から願っております。
もうすでに「地域活動支援センター」のような活動と役割を力いっぱい発揮されていると、熱く実感しております。

ボランティア「応援団」としては、これからも、現地の歩みに連帯し、継続して、マイペースでかかわっていきたいと思います。
「写真」や「スケッチ」も、相変わらずマニアックに続けていくと思いますが・・・m(_ _)m(笑)。
 【小西寿一(ノーマライゼーション協会)】




(ゆめ風基金会員の菅原武子さんが折ってくださった千羽鶴。無事、被災地にお届けできました!)





スポンサーサイト

2015.12.28 Mon 常総市を訪問してきました

常総市を訪問して  長崎 圭子 

今年の9月10日。テレビで鬼怒川堤防が決壊し、大量の土砂や水が市街地になだれ込み、家や農作物を呑み込み、流していったあの映像を、沢山の人が今も記憶していることと思います。
あれから3ヶ月。
今、どうなっているのかを確かめたくて、八幡理事と訪問してきました。

一か所目は
「特定非営利活動法人あうんの会」常総市地域活動支援センターさぼてん




ここでは、精神に障害がある方などが袋詰めなどの作業をしに通っています。
いつもはみんなが過ごす一階部分が、1mほど水没したそうです。
みんなで掃除をしたデッキブラシなどが写っています。

中に入ると、水に使った部分の泥などはかき出されていましたが、一階は、畳、床板など全部はがして、濡れたところを乾燥させるため、寒いのに窓を全開にしていました。



壁の茶色く変色している部分まで浸水・・・。
電動車いすの私の座高をすっぽり呑み込む深さ。
電動車いすは、水深15㎝ほどでモーターがやられ、動かなくなります。
3.11の映像を観たときにも感じた「だめだ、助からない…」というあの絶望感が襲ってくるのです。


水に浸かると、電化製品はもちろん使えないし、畳もカビがはえます。
再会は10月7日だったそうですが、ボランティアさんたちやメンバーさんも一緒に、泥かきや消毒など、何日も続けたとか・・・。

職員の大塚さんが話してくれました。
「あの日の大雨で、うちは鬼怒川と小貝川を結ぶ「八間堀川(はちけんほりがわ)」という支流が越水(えっすい・堤防を越えてあふれでた水)して、ここらへんみんな浸かったんですよ。
1mも。
決壊したところからは8.5キロも離れてるのにねえ。
2~3日、水が引かず、カヌーで消防やらいろいろ来て、一軒ずつ人が取り残されていないか探してたそうです。
私も最初の一ヶ月くらいの記憶がなくて…。
半年ぐらい前のことに感じるけど、まだ三ヵ月しか経ってないんやなあって。
よく建物が残っているなあ、奇跡のように思います。
汚れた床を高圧洗浄するボランティアに来ましたって言って、終わったら5万円請求されたとか、そういう話も聞きます。」


ゆっくり2階への階段を上ると、ラジオから懐メロが流れる中、当事者の皆さん、10人ほどが作業をしていました。
ホームセンターなどで売っているカーテンフックを、5個ずつビニール袋に入れ、商品名を印刷した厚紙で挟み、ホッチキスで止める。
慣れた手つき!

「腰まで水がきて怖かった・・・。歩きにくかったです・・・。
姉ちゃんと避難所に、1週間行ってたけど、薬がなくて困った。今は大丈夫です。」
と、いつもの「居場所」で、仲間と一緒に過ごす時間を、なんとか取り戻せたメンバーさんが話してくれました。

床上浸水したメンバーは3人いて、家財道具や思い出の数々がだめになった人もいました。

ゆめ風基金のことをお話して、次の訪問先へ。
途中、あちこちの家の壁に「黒ずんだ線」が入っているのを見ました。




私の頭の上、まで浸水したという・・・「しるし」ですね・・・。街のあちこちにありました。
また、近所のファミレスでは、厨房のレンジや換気扇、その他調理器具や椅子、テーブルなどが浸水し、
買い替える資金がないので、閉店するしかないとか・・・。




今回は時間の都合で日帰りでしたが、電話でお話を伺って「大丈夫ですよ」とおっしゃっていても
全く「大丈夫ではなかった」ことを確認できました。

備品やら車やら、必要なものがたくさんでてくるのがこれからです。
再建は、まだまだ。
これから、これからなのです。


(長崎 圭子)

2015.11.16 Mon 南三陸訪問記~その2

南三陸の今


といっても、東北は広く、ほんの一部しかお伝えできないこと、お詫びします。

東北には百回以上来ているという、大阪の自立生活センター「いこらー」の大薗さんが、石巻から南三陸への往復を手伝ってくれました。
帰りには、にこまる祭で知り合った東京の歯科医師さんも同乗して、被災地めぐりをしました。
まずは、かさ上げ工事の様子です。
津波があった場所をかさ上げするために、トラックが走り回っています。

この写真は、「南三陸防災庁舎跡」です。






皆さんもご存じかと思いますが、津波発生後も「高台へ避難してください!」と、防災無線で呼びかけ続けた職員さんがいた、
あの建物です。
たくさんの花やお線香が備えられ、お参りに来ている人も大勢いました。
その奥の土砂が、10m~15mにも及ぶ「かさ上げ」中の工事です。
最終的には、コンクリートで固めるのでしょうか?
今、また津波がきたら、流されるであろう、土の塊。

もっと近くに寄りたかったのですが、敷き詰められた新しい砂利が、電動車いすの歩みを止めてしまいます・・・。


道路はだいぶんきれいになってきたように思えますが、
リフトカーに電動車いすで乗っていると、かなりの衝撃を受けます。
このあたりから、車酔いしていたのかもしれません。

次に訪れたのは、大川小学校跡地です。

2015101015080001 (1)


あの日、全校生徒108人のうち、7割にあたる74人が死亡・行方不明となったところです。


風に乗って、こどもたちの笑い声が聞こえたように思え、そこから思考が停止する。
「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた校内では、枯葉を掃除する老人が。
花壇の手入れをしていたかたと会話をしている。

枯葉を、びし!しゅっ!と打ち付けるように掃いていたかたはご遺族だろうか・・・。

部外者を拒む空気は、当事者ならば当然と思える。


お地蔵さんが並んでいる。
その写真も撮りたかったのだが、ここも砂利が行く手を阻む。

遠くから、手を合わせ、祈る・・・それしかできなかった。


改めて衝撃の現場を見て感じることは、もう「想定外」という言葉は聞きたくない、ということだった。
ここは大丈夫だろうという先入観や、予測不可能、ということを言い訳に、子供や高齢者や障害者を犠牲にしてはいけない。

災害は防げない。
ならば、被害を減らすにはどうしたらいいのか。
考え行動する時間が、たぶんまだ私にはあるはずだ。
皆さんと一緒に考えて、未来に活かしていければと誓った。
それが今を生きるものの使命でもあるのではないか。

どうか、私たちに、力を貸してください・・・。


(長崎 圭子)












2015.05.29 Fri なこそ授産所訪問他・長崎 圭子

2015年5月19、20日と、八幡理事と、5月19日、9:37分新大阪発の新幹線に乗り、被災地助成金申請のあった福島県いわき市で35年活動している「認定非営利活動法人 なこそ授産所」などを訪問してきました。以下、ご報告いたします。



法人本部でもあるなこそ授産所は、就労継続支援B、他にも自立生活「きらきら」(生活介護・就労継続支援B)、綴町就労支援センター(就労支援センターかぜ)を運営している。
今回、主な収入源の味噌作りに欠かせない味噌倉庫建て替え工事800万円のうち、500万円の支援要請があったので、他の福島の作業所訪問も兼ねて行った。

まずは東京で「特急ひたち」(いわき行)に乗り換える。
予約の段階で、車いす席があったので油断していたが、その席に行くまでは、車いすトイレが広すぎて、通路に大きくはみ出している状態。
なんと、電動車いすでは通れず(切り返しもできない)結局、車いすは隅っこに置いて座席に移乗した。
全く歩けない人はきついと感じた。(グリーン車には車いす席あり)手動車いすなら通れるかもしれない?)
しかも「勿来(なこそ)駅」にエレベーターがなく、高架橋を渡らないと、駅外に出られない。
東京行きの上りホームからは出られるとのことで、いったん勿来を通り過ぎ、泉駅で下車し、そこから勿来駅に行く予定で切符を取っていた。
が、いわき自立生活支援センターの長谷川さんのお連れ合いと、なこそ授産所・理事長の高村さんが古くからの友人で「ゆめ風から電動車いすの人が来る」と聞き、リフトカーを出してくれることになり、泉駅からなこそ授産所までおよそ20分ほどの道中を車で移動できた。
助かった~~。
到着は午後3時過ぎ。

周囲は田畑と民家、すぐ目の前には川が。
震災のときは、もう少しで、川が氾濫するところだったそうだ。

なこそ授産所の高村理事長とは、NHK時代からの知り合いで、震災後もいろんな情報を取材させて頂いていたがお会いしたことはない。やっとこの日、念願かなってお会いできた。
主に知的障害がある人たち、19人がここで「しあわせ味噌」を作り、35年もこの地で地域住民たちと一緒に活動してきた。
本棟は、丸紅の助成金と、グループホーム建設のために貯蓄していたお金で修理したそうだ。
(丸紅500万円、なこそ1000万円)。
その他の「きらきら」は福島県共同募金会から補助を受け、耐震強化工事を行っている。

今回、助成申請のあったのは「みそ蔵建て替え工事」だが、2棟のうち、1棟はすでに壊し、更地になっていた。
もう1棟がこの写真である。

なこそ1


35年前に開所したとき、譲り受けたプレハブ倉庫。
ぼろぼろである。
今にも床が抜けそうだ…。
(クリーム色のものが味噌樽)


なこそ2


以前に、ここの「しあわせ味噌」を買ったが、とてもとてもおいしいお味噌なのだ。
震災直後は、このお味噌で地域住民に炊き出しもしている。


土地は、市から無償で借りているので、土地を担保に借金するのは無理。
また、高村さんは、福島の障害者福祉において、先駆的な「地域と一緒に」を実践してきた人でもあり、震災直後は、お金を持って、あちこちの授産所や作業所を回ったらしい。

翌日に伺った二本松の「さくら」にも支援金を持って行ったそうだ。さくらの理事長は「あのときのお金は本当に助かったし、高村さんが頑張ってるんだからわたしたちも踏ん張らないと」と強く感じたそうだ。

何回か東北を訪問して思うのは、交通網がない、車移動が基本、障害者が外出できる場所が少ない、障害者を見かけない、などの地域間格差をとても感じる。

大阪で住んでいると、つい、「大阪の物指し」で物事を図りがちだが、少ない社会資源を最大限活用して、「地域で生きる」ことを実践している人々の辛抱強さに尊敬の念を抱く。
震災後、4年経て、ようやくゆめ風基金に辿り着いた「なこそ授産所」をどうか支援して頂きたいと、心から願うものである。


【二本松編】

20日には、郡山から在来線に乗り、福島県二本松市に移動。
駅のちょっとした広場には、『安達太良山の上に澄み渡る青空を指す、智恵子像』がある。

二本松駅前


詩集「智恵子抄」の一節の
「智恵子は遠くを見ながらいふ、安達太良山の上に 
毎日出ている青い空が智恵子のほんとの空だといふ。
あどけないそらの話である。」に由来するとか。
高校生の頃は、
『そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ』
と暗唱できたのだが・・・。

この像の奥にある白い壁の建物が二本松市市民交流センターで、この中に、精神障害のある人たちの作業所「NPO法人コーヒータイム」が店を出している。

避難区域に指定された浪江町から避難してきた皆さん。
理事長の橋本さんにいろいろお話しを伺った。
東電からの保障のあるなし、被災民の中でも広がる格差・・・。
とても複雑な糸が絡み合っている。

東電賠償訴訟をしようとしているが、当時、赤字だったので、賠償が難しいこと、それでも
弁護士と相談して、訴訟準備をしようとしていること、今の場所が手狭になっているので、移転したいが、どこも土地建物が高騰し、なかなか難しいこと、2軒、候補があるものの、一長一短だということ、なこそ授産所の高村さんが震災後、救援金を持ってきてくれたのが嬉しかったこと、あのひとは尊敬すべきお手本にしたい人だ、などなど…。

店舗はかなり狭く、テーブルは2つ。
電動車いすが1台入ると、テーブル一つが占領されてしまう。
お客の回転数をあげようと思えば、広いところへ移転したいという気持ちもわかる。
場所が決まったらまた申請を、とお伝えし、アクセスホームさくらへ移動。

同じく浪江町から避難してきて、ゆめ風も救援金をお送りしたところ。
理事長の渡邊さんが迎えに来てくれたのだが、リフトカーではなかったので、電動車いすをコーヒータイムさんに預け、走ること15分。

入口に掲げられていた「近畿ろうきん」のプレートが光っていた。
ちょうど昼食前で、皆さんは作業中。浪江にいた頃から仕事を発注してくれた自動車部品工場が、二本松に来ても同じように発注してくれるので助かる、と。
また、いろんな助成金で買った「ラスク」を作る機械なども見た。ネット注文ができるようにして、全国に発送しているらしい。

昼食後は、皆さんが「手話コーラス」を3曲、披露してくれた。
また、震災後から移転するまでの記録をスライドショーにしたものも見せてくれた。
(http://acsakura.in.coocan.jp/index.html)

震災直後は、予算4000万円で移転しようとしたが、あっという間に高騰し、最終的には6000万円にもなった、というのには驚いた。また、今回訪問した3人とも顔見知りで、それぞれが福島で踏ん張っている女性だということに、元気を頂いた。

被災地ならではの、たくさんのしんどさも抱えつつ、歩み始めようとしているかた、または一歩を踏み出した皆さんをこれからも応援したいと強く願った訪問だった。



(長崎 圭子)

2014.09.03 Wed 広島避難所訪問ー被災地NGO恊働センターからのご報告を転載ー

被災地NGO恊働センターからのご報告を転載いたします。

土砂災害にあわれ避難所でお暮しの方の声を聞き、
私たちのすべきことを教えてくれる報告文です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

8月29日・広島県安佐南区にある八木小学校に行きました。
八木小学校はピーク時で200人以上の方が避難していましたが、
現在は半数の100人ほどです。
日中は、お仕事に行かれる方、自宅を片付ける方など、様々です。
でも、まだ避難指示区域やライフラインの確保などが優先され
片付けたくても片付けられなかったり、お年寄り一人ではなかなか作業もできず
ボランティアも少ないので、片付けが思うように進まず、
避難所で悶々と一日を過ごしている方もいらっしゃいます。

土石流や濁流が家の中まで押し寄せ、60センチくらいまで足が水の中に埋まり、
4時間くらい水の中にいたという人もいらして、
水が恐いからずっと半ズボンでいるという人もいらっしゃいました。

「ほんとに水は恐ろしいよ」「恐ろしかった」という声が聞こえてきました。

土砂や岩が凄く、家の中にまで岩が入ってきて、
隙間が数十センチくらいしかなく、掘り出せず、何もせずに帰ってきたという人も。

避難所では、何もすることがなく、最初に逃げてきたときのズボンが入らなくなった。
お酒もここへ来てから一滴も飲んでなのに、太っちゃってね。こんなの初めてだよといわれる方も。

小さなお子さんを持つ若い女性の方は、足湯をしながら、「足湯で便秘が治るかしら」と。
避難所では、毎日お弁当や炭水化物ばかりで野菜がないからずっと便秘だとか。
彼女は「一度野菜たっぷりの豚汁が炊き出しに来たとき、それが一番おいしかった」とつぶやきました。

ちょっとでも煮炊きができれば、インスタントのお味噌汁にネギをはなって、
サラダをあいているお店で買って・・・。
避難所の改善をまだまだ求めていかなくては。

被災者の疲労も、すでに限界を超えています。
もちろん家の片付けなどを、優先的に行わなければなりませんが、
それも、休憩をしながらでないともちません。
一日二日で終わるような土砂の量では到底ないのですから。

避難所には地元の多くのボランティアのみなさんもたくさん関わっています。
しかし、一週間も続くと疲労の色は隠せません。

ボランティアも、交代の時期にさしかかっています。

被災された住民の中でも、被災翌日から自宅前にイスやテーブルを並べて
一瞬でも被災を忘れるように、憩いの場を提供している住民もいるそうです。

いっしょに足湯をした女の子は「あ~幸せじゃ~」と言ってくれました。
まけないぞうをプレゼントすると「きゃーかわいい」と、遊んでくれました。
(まけないぞうは、被災地NGO協慟センターのタオル型自主製品です)

こんな出来事が、辛い災害をほんの一瞬忘れさせてくれます。

2日の速報で、
大規模な土砂災害で安佐南区のおよそ3万人を対象に出していた避難指示と避難勧告のうち、
午前11時半ですべての避難指示が解除、、
八木地区と緑井地区の一部を除いて避難勧告を解除されました。

一段とボランティア活動が、展開されることを願います。

被災地NGO恊働センター
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通2-1-10
TEL:078-574-0701/FAX:078-574-0702  E-mail:info@ngo-kyodo.org
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。