認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com

阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

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2016.04.08 Fri 呼びかけ人代表・小室等さんのTV出演情報!

朝、牧口代表からメールが。

『きのうBS4にて阪神vs巨人戦を見ていたら
あす9日の同局午後7時~8時54分「地球劇場」にて
小室等さん六文銭と谷村新司さんが出演の予告をしていました。
時間あればご覧ください。ボクは録画をゆっくり見ます。』

我らがゆめ風基金・呼びかけ人代表の小室 等さんが出演されます。
名曲たっぷり!の予感が・・・。


番組表はこちらです!


『この番組で歌われた楽曲の一部は、国際交流基金 アジアセンターの“日本語パートナーズ”派遣事業を通じ、ASEAN諸国で日本語を学ぶ子供たちの教材として活用される予定です。』
とのことです。

多くのかたに観て頂きたく、拡散よろしくお願いいたします。


(な)
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2012.02.10 Fri 【いま、人々の暮らし、その本来のあり方を見つめ直す時かもしれません。】

KSKP No.56 2012年2月6日発行 【ゆめごよみ風だより】より

【いま、人々の暮らし、その本来のあり方を見つめ直す時かもしれません。】
                                    代表理事 牧口 一二
新しい年の始まりです。どのような思いで新たな年を迎えられたでしょうか。とくに被災地のみなさんの思いは、被害を受けられた状況によっても異なるでしょうし、それまで体験されなかった壮絶な情景を目の当たりにされた人々の思いは、いかばかりかと想ってはみるものの、とても想い至るものではないと知るのみです。
 昨年は3月に東北関東大地震大津波そして福島原発大事故、その被害状況があまりにも大きく広範囲だったため、9月はじめに起きた和歌山・奈良あたりを襲った12号など複数の台風での被害はあまり報道されませんでしたが、橋が流されて開通までに3か月を要する陸の孤島が出現するなど、けっこう大規模な傷跡を残しました。
 そしてまた、福島の原発大事故はだんだん東京電力や政府の失態が明らかになり、空気のように住み慣れた故郷と隣人たちから離れ離れにされたまま2度と帰れない人々が、そして家族ができてしまうところに来ています。そのうえ仕事まで奪われて、こんな破壊が、人災が許されていいはずがありません。私たちはいままでの暮らしぶりを変える時ではないでしょうか。「節電、節電」と騒いでいますが、もともと夜はロウソクのほのかな明かりで1日の営みを静かに思い返す時ではなかったでしょうか。ネオン煌めき、高層ビルの窓からの灯が明々と道を照らす現代では考えにくいことでしょうが、せめて本来の意味を思い起こしたいと考えます。

いま、昨年の出来事を少し離れた大阪の地から感じているボクは、正確な表現は忘れましたが宮澤賢治の「みんなが幸せにならなければ1人の幸せはありえない」という言葉がしみじみと胸に迫ってきます。
 また、両手両足がほとんど動かないのでベッド式車いすに寝た状態で(通りかかった人々に声をかけ手足を借りながら)1人でどこへでも旅した畏友Uクンがつねに言っていた「地球上の全ての人々が両手両足を繋いで作った大きな網が地球をおおっている……それが人間の姿だ」という言葉がよみがえります。その彼は40歳を待たずに星になりました。 現代を生きるボクたちは、もっとゆっくり生きてもいいのではないか、もっと自分自身が歩んでいる道程をじっくり見つめ吟味しながら生きなければならないのではないか、と考えます。偉そうに言うのではありません。むずかしく考えているわけでもありません。昨年に大変な体験をしてしまった、させてもらった今という時、この世に生を受けてから今の自分までをじっくり見つめてみる時ではないか、と思うのです。
 いまの世は、解らないことが多すぎないでしょうか。たとえば、ボクが60の頃からおずおずと始めたパソコン、まるで生き物のようにボクに逆らいます。なぜ逆らうのか、何が気に入らないのか、それでもボクの日常にどんどん入り込んできて、ボクを困らせます。だけど機嫌のいい時もあって、その時はとても便利で、とても賢く、もっぱらワープロ代わりに使っているのですが、たまに地図を検索したり、百科事典として活用します。といってもインターネットのことはほとんど知らないボクのこと、日常生活の中には入ってなくて、思えば昨年、いくつかの独裁政権を倒したのはインターネットで繋がった民衆の結束とのことでした。パソコンってすごいなぁ、時代はどんどん変わっていくんだなぁ、と驚きましたが、どこかピンときませんでした。何事も速くなって、そのスピードに戸惑っているボクです。

これからも、多くの人々から寄せていただいた「ゆめ風基金」を活用してもらえる被災地の障害者と障害者支援団体を探し続けます(2億円をそっくり活用してもらおう、と宣言してから10か月が経った現在、12号台風への支援も含めて1億2千万円強の段階です)。
 なお現在、被災3県に設けた救援センター9箇所と避難センター2箇所、計11拠点の日常の支援活動費が毎月1千万円を超えています。これは被災障害者の切実なニーズに応えての結果なのですが、これからも長く支援を続けていくために、被災地の人たち(障害者たちを軸に)と相談しつつ、復旧ではない復興の、それにとどまらない復活の、そして古きよきものを大切にしての新生まちづくりが実現するまでの支援の在り方を考えていこうと語り合っているところです。
 どうか、長い支援を続けていきたいと願っている「ゆめ風基金」に、これからも力づよいお力添えをいただきますように。そして、これからの支援金の届け先についても見守り、見届けていただきますよう、心からよろしくお願いいたします。 (2012年1月)

2011.07.28 Thu 被災地の、ほんとうに困っている仲間に一日も早く出会いたい 牧口一二

被災地の、ほんとうに困っている仲間に一日も早く出会いたい                                                                                                             
               被災障害者支援NPOゆめ風基金 代表理事 牧口 一二

 カタカナ文字(英語など)の氾濫にはついていけない年齢になった(でもまだ七四才、とカラ元気)。便利だから仕方なく、苦手ながら手を染めてしまったパソコンもなかなか思うように動いてくれず、何が原因かと、「ヘルプ」をクリックしてみても説明文が日本語なのにカタカナ語で皆目わからない。
 そんな毎日をすごしているボクに、ほんとに久しぶりにこの欄の原稿を、との依頼がきた。もう現役を引きつつある身に(軽~いジャブ)なんでだろう? きっと今回の東北関東大地震大津波そして福島原発大事故がらみに違いなかろう、と思いきや…………その通りだった。
 阪神淡路大震災のとき、障害者仲間はあちこちで後回しにされた。わからないことを尋ねると「いま、それどころではありません」とまで言われた。今回の東北でも「あなたの来るところではない」と言われた、と聞く。
 ほんとうは世の中全体が大騒動になったとき、いちばん先に助けられるのは、障害者・高齢者・子どもたち・社会的ハンディを負わされた人々だろう。ところが、「そんなの理想論」と世の中という顔がうそぶく。緊急時には、そんな論争をしているヒマがないから、われら障害者は何度も繰り返される苦い体験から、いざという時に備えてふだんからお金を蓄えておこう、と「ゆめ風基金」運動を始めた。 
 今回の原稿は、東北関東大地震大津波そして福島原発大事故(長く書けない、ということか、早くからマスコミなどは「東日本大震災」としたが、東北や原発があいまいにされそうで、ボクは略さない)のことに関連づけて述べよ、ということらしい。
 「ゆめ風基金」は十六年かかって多くの人々のおかげで、二億六千万円ほどを蓄えた。その内、この間に起こった海外を含めた三〇件ほどの被災地の障害者に合計六千万円強を届けてきた(当初は海外は念頭になかったが、災害が起こると知らん顔はできなかった)。そして今回の大災害、残り二億円をそっくり東北関東の障害者たちに活用してもらおうと、緊急の理事会ではみんながそう思っていた。
 そこで「ゆめ風ネット」(いま全国に51か所)に参加している「ネットみやぎ」と「ネットいわき」に連絡を取り、すぐに八幡隆司理事が現地に入り、二億円の届け先を探し始めたが簡単ではなかった。避難所めぐりをし、「困っている人は? 障害者はいませんか?」のビラを配ったが反応は鈍かった。「ゆめ風基金」はNPO法人といえど民間の勝手連みたいなものだから不平等が許される。ほんとうに必要としている障害者に手渡すごとく必要な額を届けたい。八幡理事は懸命に探してくれたが、あまりにも被災した地域が広く、なかなか見つからなかった。
 で、その前段階の拠点づくりから始めることになった。岩手、宮城、福島にそれぞれ被災地障害者センター(盛岡市、仙台市, 郡山市)と緊急避難所(宮守町、登米町、亘理町)を現地の障害者を中心にした活動で設置できたところだ。これらの拠点を軸に、ほんとうに困っている障害者との出会いを求めて本格的な活動が展開されようとしている。
 今回の大災害の後も全国から支援金がどんどん寄せられ、「ゆめ風」に寄せられただけでも新たに一億六千万円が加わった(7/8現在)。これらの支援金は全国の障害者と仲間たちに届けられたもの、どうか困っている仲間のことを知っておられる人はゆめ風事務局(TEL06-6324-7702~3/FAX06-6321-5662)にご一報ください。急いで理事が集まり検討させていただきます。
 ところで、全国連の運動趣旨に沿っていうと、災害が起こり避難所に逃げ込むとき、障害者の多くは避難所で暮らせるか否か、が問題になる。阪神淡路のときは車いす常用者がトイレに困り、半壊の車いす住宅に戻るしかなかった。また、愛知の水害では知的障害グループのリーダーから伺ったのだが、「避難所では落ちつかないし、他の避難者からトヤカク言われたくないので、知り合いのスーパーの屋上に避難させてもらって難を免れたけれど、後で考えると、まずは避難所に行き「どっこい生きてるよ」と伝えるべきだったかな」とのこと。
 今回の東北の避難所でも「福祉避難所」の必要性が大合唱される。つまり、障害者にはそれぞれ特別なニーズがあるから、その設備が整った避難所が絶対に必要だ、という声だ。そのように言いつつ、地域社会から山深い施設に障害者を追いやったのではなかったか。また、専門家がいる、仲間がいる、設備が整っている、と地域の学校から遠い支援学校(なんか、これもウソっぽい言い換えだなぁ、ほんとうの支援は障害児の壁を取り除くことだ)へのバス通学を強いてきたのではないか(本気の右ストレート)。
 それぞれのニーズに応える設備は当然必要だが、それは一般の避難所から障害者を分けることではない。そうではなくて、一般の避難所とそれらのニーズに応え得る備えとがパイプで繋がっていてほしい。必要のないところまで設備を整えろ、ではない。まずは、どのような人も拒まない、というのが避難所の(社会の、学校の)原則で、特別な手立てのルートをつねに準備をしておく、ということだ。そうした場では、急に障害者と同じニーズが必要になった障害なき人も救うことができるし、同じ場でさまざまな人が生き合っていることを実感できることにもなる。そこに現れる諸問題をどのようにこなしていくかが「生きる」ということだと考える。だが、そう簡単なことではないので悩み続けているボクである。だけど、しつこく悩み続けてやろうと思う。

2011.06.29 Wed この3か月、血のめぐりがわるくなった頭だけれど、いろいろ考えた。

この3か月、血のめぐりがわるくなった頭だけれど、いろいろ考えた。
               被災障害者支援NPOゆめ風基金 代表理事 牧口一二

 この原稿を書いている今日は6月11日、つまり東北関東大震災大津波そして福島第一原発大事故からちょうど丸3か月が経過したわけだ。ボクは3月27日ごろからランダムに、4月に入ってからは毎日、わが手帳に……新聞に載っている「いままでの死者数、行方不明数、避難所暮らしの人数」をメモるようになった。6/10は死者15,401名、行方不明8,136名、避難所暮らし91,523名(ちなみに避難所暮らしが10万人を切ったのは6/2のこと)となっていて、6/11は死者15,405名、行方不明8,095名、避難所暮らし90,109名とある(警察庁発表による前日のまとめ)。
 前日とのことだから、9日と10日の24時間の間に亡くなられた(あるいは遺体が発見された)人が4名増え、行方不明だった人の51名が安否確認できたことになる。地震が起きて丸3か月の時点だから瓦礫に埋もれていて助け出された、とは考えにくい。どこかに逃げられていて消息がやっと確認できた人や大海原に呑み込まれていて(海上保安庁などの捜索で)遺体が見つかった人、ということになるのだろう。つまり、3か月後のこの日の24時間に、なんらかの理由で47人が生き残って身元確認されたことになる。メモを取っていると毎日毎日2桁の人たちが生きて発見されている。3桁の生存が確認されていたのは5/7までの記録で、それ以後は2桁になった。しかしながら3か月にもなれば、遺体発見も身元確認も日々難しくなっている、と新聞は伝えている。
                   ◆
 なぜ、ボクが死者や行方不明などの推移をメモるようになったか。それは、まだ東北に(車いすの)車輪跡を残せないでいるが、テレビ画面に映し出される大津波によって根こそぎ大海原に呑み込まれていった跡の、人間社会の風景とは思えない映像やほとんど何も残っていない焼け跡ごとき景色など、それだけでも息をのむシーンなのに、周り360°が同じように荒れはてて暮らしの残骸しか残っていない真ん中に立てば、ボクはどんな言葉を発するか、いや何の言葉も出てこなくて、ただ頭が真っ白になってしまうにちがいない。
 だけど日が経つにつれ、あの残骸のいまはどんな風になっているのだろう、知りたくて知りたくて……という想いがつよくなってきた。3度にわたって津波が襲った、という。2度目が最も大きかったと聞いたが、実際はあくる日まで何度も何度も寄せては返す津波だったらしい。そのリアス式海岸沿いは450キロにおよぶという。あの地域は、いまどうなっているのだろうか?
 1,000キロ以上離れた大阪から被災地のいまを感じたい、そこで思いついたのが毎日の新聞に乗っている警察庁調べの「今日までの(前日の)死者と行方不明そして避難所で暮らす人々」の数字を拾い出してみることだった。きのうからきょうへの何かが掴めるかもしれない。もちろん、人々の暮らしぶりは数字の推移だけで分かるものではない。もっと多面的で複雑で、数字ごときで簡単に推し量れないが、何か、臨場感がほしかった。
                   ◆
 3か月経ってもなお、2桁の生存者が日々確認できることはとてもうれしい意外であった(その対象軸に日々確認される死者の数が増える事実がある)。阪神大震災の最終的な行方不明者が3人で、伊勢湾台風の最終行方不明者が401人だった、と新聞記事にある。大海にさらわれてしまったこと、被災地が広い範囲にわたっていることが、まことに捜索を困難な状況にしている。そのうち、障害者はどれぐらい死んでしまったのだろうか。
 5月に入って、隣り近所の知り合いなどから「障害者の人たちの状況がいっこうに聞こえてこないけど、どうしているんですか」と尋ねられることが多くなった。確かに一般の大災害関連ニュースで、障害者の状況はあまり出てこない。マスコミが取材しなかったのか、そうでもない。例えば、NHK教育テレビは3/17から福祉ネットワークで災害関連情報を毎日ナマ番組で流し始めた(3/29にボクも東京で出演した)。だが、障害者はいま、どこで、どうしているのか、なかなか見えてこなかった。
 「ゆめ風基金」の成り立ちなどは後で書こうと思うが、16年間の活動で全国に51か所のネットワークができ、その1つ「ゆめ風ネットみやぎ」(じつは仙台の「CILたすけっと自立生活センター」)にゆめ風・理事の八幡隆司が3/18に入り、当地の活動を手伝うことになった。「たすけっと」は当初、自分たちと仲間の避難所になったそうだが、八幡が加わった頃には障害者支援の拠点として活動を始めた。最初の仕事は各避難所を回って、「困っている人はいませんか、障害のある人を教えてください」というビラまきだった。だけど、反応は鈍かったらしい。車いすや白杖など目立つものがあれば分かりやすいが、ほとんどの障害者は付き合いを始めないと分からない。孤立して困っている障害者を見つけ出すのは大変な作業になったようだ。
 5/24朝刊の新聞報道によると、東北3県の津波で被害を受けた沿岸37市町村に住む障害者は約15万人で、内閣府が障害者団体などに聞き取り調査した結果、9,000人のうち2.5%にあたる約230人が死亡または行方不明になっていた、とある。住民全体に占める死者・行方不明の比率は1%弱というから、障害者の死亡・行方不明は2~3倍ということになる。だが、少し疑問を抱く。ボクもそうだが複数の団体に顔を出している。ダブルやトリプル・カウントされていないだろうか。この疑問を、東京のこうした道に詳しい仲間に問い合わせたところ「大きな誤差はないだろう」とのこと。ならば、想像したくなかったことだが、相当数の障害者が大津波に呑み込まれてしまったのではないか。1度目の津波から逃れて、やれやれとひと息ついたところに2度目の大津波がきて呑み込まれてしまった障害者も多かったのではないか、その無念を想った。
                   ◆
 16年前の阪神淡路大震災、世の中全体が大混乱になったときの障害者の置かれた立場は、やはり危ういものだった。伝言や伝達が取りにくい視覚・聴覚障害者たちが避難所のリーダー格に、「何の列ですか?」と尋ねると「いま、それどころではありません」と後回しにされてしまったケースがあちこちで起きていた。今回の東北の避難所でも「あなたたちの来るところではありません」と言われた障害者がいた、と聞く。
 阪神淡路大震災のとき、大阪もそこそこ揺れたが、ひと息ついたところで神戸の障害者のことを想った。長田あたりで火の手が出て、炎がぐんぐん広がり、脳性まひの友が柱に足を挟まれ、必死に逃げだそうとしているところに火の手が回って、意識がはっきりしているのに焼け死んだなら……と勝手に想像し、さぞ怖かっただろうな、と思ったり。
 その次の日、障害者運動の仲間の女性が崩れ落ちた屋根の下敷きになって亡くなった、とのファクスが神戸からの第1報だった。まるで,イヤな予感が当たってしまったようなファクス、ところが第2報に驚いた。ふだんからの助け合いネットワークが機能し、他の救援物資が交通停滞の中、いち早く届いた食料で炊き出しを始め、寒さに震える地域の人々に「日頃お世話になってるお礼です」と豚汁を配って回った、というではないか。
 このファクスにどれだけ励まされたことか。30年ほどやってきた障害者による市民運動が1つの実りを示してくれた感動だった。ボクの体内からふつふつとエネルギーが湧いてくる不思議な体験をした。それが「ゆめ風基金」運動に発展するとは……
                   ◆
 神戸や西宮の障害者たちが地域の人々に豚汁をふるまったことにエネルギーを得て、被災地神戸のようすを知りたかったが、テレビ画面からは不通になっている鉄道レールの上をリックを背負って神戸に向かって歩く人々の列が映しだされていた。当時、松葉杖をついていたボクにはマネのできないことだった。
 そんな折、我らが『そよ風』編集長、河野秀忠が「とりあえず、オレが行ってくる」と神戸に向かう。着くや「えらいことになってるでぇ。金や金、お金を集めなあかん。10億円は要るなぁ」と受話器の向こうで叫んだ。そのとき、ボクは「5億円ぐらいにしないか」と募金目標を値切っていたのだ(笑)。河野の10億もボクの5億も大した根拠もない直観の出まかせだった。ただ、河野は全国を、ボクは近畿を念頭にしていただけのこと。
 こうして、被災した障害者を支援する「ゆめ風基金」運動がスタートした。永六輔さんは「10年計画なのが、とてもいい」と快く呼びかけ人代表を引き受けてくださり、10年間を本気で大きな仕事をしてくださって、小室等さんにバトンタッチされ、いまもラジオなどで大いに呼びかけてくださっている。そのとき電話は鳴りっぱなし、事務局は大わらわ。
                   ◆
 今回は津波の恐ろしさを痛感させられたが、それにも増して原発による放射能のしつこさには驚きと怖さを思い知らされた。ボクはあまりにも原発のことを知らなさすぎた。だが、専門家や当事者たちがあんなにアタフタするなんて想定外。ボクでも、原発危うしとなった当初のヘリコプターから建屋に水をかけるシーンを眺めていて(多くは的ハズレ)、なんとチャチな、と思ったものだ。これが、放射能漏れの危険性を社会が2分するほど騒いだ後に出てきた安全宣言のなれの果てだったのか、背筋がゾクッとした。
 原発推進派といえど、したり顔で解説していた政治家や大学教授が、後から次々と出てくる失態をすでに知っていて、のうのうと顔色も変えずにウソを宣っていたなら、ボクは放射能よりそのほうがはるかに恐ろしい。
 危ない、安全、が取り沙汰されていた40年ほど前、ボクは廃棄処分できないものを後世の人たちに残すのは現代人の傲慢だと考えて原発反対の側にいた。故・松下竜一さん(じつは広瀬隆さんと思い込んでいた)が書かれた『暗闇の思想』を読んで、夜の暗闇は静かに語らったり物事をじいっと考えるとき、と教わり、深い感銘を受けたことを思い出していた。いま、電動車いすがなければ一歩も外に出られない身になっているが、節電なんて言わずに夜は暗闇で静かに過ごそうと思う(歳をとったせいかな)。
                   ◆
 もう1つ、気になることがある。今回の東北の避難所でも「福祉避難所」の必要性が大合唱される。つまり、障害者にはそれぞれ特別なニーズがあるから、その設備が整った避難所が絶対に必要だ、というのである。
 そのように言いつつ、地域社会から山深い施設に障害者を追いやったのではなかったか。また、専門家がいる、仲間がいる、設備が整っている、と地域の学校から遠い支援学校(なんか、これもウソっぽいなぁ)へのバス通学を強いてきたのではないか。
 それぞれのニーズに応える設備は当然必要だが、それは一般の避難所から障害者を分けることではない。そうではなくて、一般の避難所とそれらのニーズに応え得る備えが繋がっていてほしいのだ。必要のないところまで設備を整えろ、と言っているのではない。まずは、どのような人も拒まない、というのが避難所の(社会の、学校の)原則で、特別な手立てのルートをつねに準備をしておく、ということだ。そういた社会では、急に障害者と同じニーズが必要になった人も救うことができるし、同じ避難所でさまざまな人が生き合っていることを実感できる場にもなる。そこに現れる諸問題をどのようにこなしていくかが、「生きる」ということだと、ボクは考えている。
                   ◆
 いま理事の八幡は、長期間にわたって東北に入り込み、当地の障害者たちを側面から支える難しい立場で活動している。もちろん主目的は、ゆめ風基金を本当に必要としている人(ところ)に手渡すごとく届けるためである。だが、さまざまな市民から託された大切なお金を確実に届けるのは簡単なことではなかった。そのためには、拠点を創り出すお膳立てから関わることなのだ。現在、福島の郡山市、宮城の仙台市、岩手の盛岡市に被災地障害者支援センターを立ち上げ、続いて緊急避難の駆け込み寺的な拠点を福島の亘理町、宮城の登米市、岩手の遠野市に設けたところである。でも、復興に向けてお金を必要とするのはこれからだ。ぜひ、ご支援をお願いします。ゆめ風基金・事務局のTEL:06-6324-7702/FAX:06-6321-5662/E-mail:yumekaze@nifty.comへご連絡のほどを。
        (編集部だより「そよかぜ」139号/「そよ風のように街に出よう」より)

2011.04.11 Mon 基金がカラッポになる前、新たに早くも7千五百万円を超える募金が届いた!(4/9現在)

 この原稿を書いているのは4月10日、東北関東大地震と大津波そして福島第1原発大事故、3つの大災害から丸1か月が経過しました。世間ではこの自然災害と人災を「東日本大震災」と統一して表現するようになったようですが、この表現では東北リアス海岸の目を覆いたくなる惨状や原発事故の身の毛立つ深刻さがあまりにも伝わらない気がするので、ボクはこの類の原稿のときは「東北関東大災害と原発大事故」と書き続けようと思います。
 われら「ゆめ風基金」では、阪神淡路大震災以後16年間の活動によって多くの方々から支援していただき、蓄えた基金2億円強(この間に海外も含めた自然災害に5千万円ほどを支出)を、そっくりそのまま東北と関東の障害者・児に活用してもらおうと、理事の全員一致で決め、すぐに八幡隆司理事がほんとうに困っている人を見つけるべく現地に入りました(現在も八幡さんは現地で活動中)。また、親しい東京の障害者団体(DPI日本会議)と連絡を取り合って「障害者救援本部」を立ち上げました。
 東京、大阪はもとより名古屋、滋賀、西宮、神戸などの障害者団体からも現地に入り、当地の障害者たちと安否確認をはじめとする支援活動に協力していますが、あまりにも被災地域が広範囲なため、なかなかの大仕事になっています。
 「ゆめ風」事務局も毎日入れ替わり立ちかわりボランティアの人たちが手伝いに来てくださり、専従の2人は休日もなく懸命に電話の応対や届く郵便振替などの整理に大わらわです(長期になるので、あまりムリをせず息切れしないでほしいです)。
                   ◆
 ところで、まずは貯まっている2億円を有効に活用してもらおうと、的確な届け先を探すことから始めたのですが、それより先に毎日ぶ厚い郵便振替が届くようになりました。基金がカラッポになる前にどんどん支援金が寄せられることになったのです。この1か月間で3千人を超える方々から75,081,226円(4/9現在)の支援金が寄せられたのです。これには呼びかけ人代表の永六輔さん小室等さんがラジオなどで広く伝えてくださったことが大きな力になりました。3本の電話が切れ目なくかかり、事務局はうれしい悲鳴を上げていました。1人やら団体から百万円、十万円の大口の募金がけっこうあり、今回の災害のヒドさを語っています。ほんとうにありがとうございます。これらのお金も加えて東北関東の障害者たちに活用していただきます。そのために全力を使います。
 振替用紙を1つひとつ拝読させていただきました。お金だけを振り込まれた人が圧倒的で、その方の心意気が伝わってきました。また、小さな通信欄にちょっと一言を添えてくださった方々の心こもった言葉にも励まされました。全体からいうとほんの少しですが、とても気持ちが伝わってくるので、多くの人と共有したく、ご紹介させていただきます。◆東日本大震災の障害者団体へお見舞いと、100才老母のせつない気持ちで、車椅子の生活でひとりでは動けません(高松市Nさん 女性)◆今回の震災は人ごとではありません。少しでもお役に立てれば、幸いです。がんばってください(島根・大田市Kさん 女性)◆なるべく早く被災者に届けてください! 金額は少ないですが、気持ちは沢山です!!(東京・小平市Aさん 男性)◆障がいを持つ仲間に直接届けられる事、心強く思います。お願いします。(札幌市Tさん 男性)◆かける言葉も見つからない程の大震災、辛い日々が続いている中、みんなずうっと繋がっていることを伝えたい(福岡市Kさん 男性)◆地震で職場の送別会が中止になりました。秋田は被害が小さかったので、少しでも困っている仲間に役立ててください。送別会の会費分です(秋田市Zさん 男性)◆まだまだ寒い日が続いています。お身体が心配です。お元気を出してください。心から応援しています(大阪市Mさん 男性 )◆私も車椅子です。どんなに不自由な生活をしておられることか、心が痛みます。泣きたい時は泣き、そして復活してください(大阪市Wさん 女性)◆私は動いて支援できません。どうぞ動ける方、実のある支援をお願いします(長野・須坂市Sさん 女性)◆当地も停電で少しだけ痛みを分け合っていますが、被災された方々を思えばなんのそのです。皆で支え合ってがんばりましょう。少しですが、お役に立ててください(静岡・御殿場市Kさん 女性)◆地震と津波と原発事故、あまりの悲惨さに言葉も出ません(兵庫・芦屋市Kさん 女性)◆ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために……この言葉がズシンときます(大阪・八尾市Yさん 女性)◆東北大震災で被害に遭った作業所に使ってほしいです(東京・荒川区Sさん 女性)◆3.11の大震災、原発の大事故、おそれていた大災害に震えています。少額ですが送ります。(群馬・高崎市Fさん 女性)◆先日、亡くなりました。財布に残っていた分を送らせていただきます。姉より(東京・武蔵野市Iさん 女性)◆予期せぬ天災に、人災というべき原発故障、無念です(東京・中野区Hさん 男性)◆この震災で、まず自分にできることの一つとして送らせていただきます。今こそ基金の出番ですね(東京・品川区Yさん 男性)◆一日も早く「ぬくもり」を届けてあげてください(島根・仁多郡Kさん 男性)◆村人たちが、わずかなおこづかいを貯金したものを出し合い、職場も加わりました。被災された方のために祈っています(千葉・館山市Fグループ)
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