認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com

阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

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2013.12.26 Thu hideの救援レポート 2013年12月26日№147

自業自得の年末の一撃!
12月14日、15日、東京新宿にあるカタログハウスで開催された、恒例の「ゆめ、風であいましょう」イベントには、永六輔さん、小室等さん、こむろゆいさん、朴慶南さん(作家)、きたやまおさむさん(精神科医)、松島とも子さんと、多彩な方々がご出演くださり、大いに盛り上がりました。

15日、牧口さんと喜びながらの帰阪。
その夜、hideひとりで祝杯を挙げた後、自宅玄関口に、とここで、hideの記憶が行方不明。
気がつくと、ベッドの上におり、ベッドが血まみれ。
玄関口を見ると、血溜まりがデケていた。
枕元では、同居している愚息が救急車を呼んでいた。

こうして、人生で初めての救急搬送。
病院に着くやいなや、頭の傷の縫合手術。
8針も縫われてしまった。
帰宅して、翌日からは、近所の外科医通い。
全治20日。
どうも記憶が無いけれど、玄関口でひっくり返り、頭を強打したみたいです。

天国から地獄。
年末の一撃でした。
現在は、抜糸も済ませ、普通生活に復帰しました。

というところで、このhideのリポートは、この回で年内は、オシマイ!
次回は、新年が始まってからになります。
皆さんには、良い新年でありますように!
hide拝




●東北関東障害者救援本部特集号№7から転載、その2。
・連絡先 
TEL 042-631-6620
FAX 042-660-7746
○岩手県田野畑村 NPO法人・ハックの家 施設長・竹下敦子

「移送サービスを通して見えたもの…」
平成23年3月11日、私達にとって忘れられない日になりました。
この日より2年、長かったのか、短かかったのか、無我夢中の時間が過ぎ去っていきました。
そんな、2年間のなかで私達にとって大切な支援の一つとなったのが「移送サービス」です。
この事業が震災の時、どれほど皆さんの力になったのか、この場を借りて私なりにまとめていければと思います。

移送サービスが始まる前、ハックに多くの人が相談にきました。
その相談のなかで一番多かったのが「病院に通院したいが、毎回タクシーだと大変。しかも、タクシー自体がつかまらない…。」「買い物にいくにも車椅子ではいくのが難しい。」「勤務先へ出勤できない。」など移動に対するものでした。
涙を流して相談にくる方もいて、その当時「こんなに必要としている人がいるのに、なぜ移動に対する支援が我が村にはないのか…。」と考えさせられる毎日でした。

そんな中、「移送サービスをハックの家でやってみないか。」との話がありました。
三陸鉄道がまだ復旧の目途が経っていない中の話しで、とても嬉しい申し出でした。

ある自閉症の男性から手紙が私達のもとに届きました。
「自分の職場が津波に流されてから、もう仕事はできないと思っていました。でも、何とか仕事を○○さんから(就業・生活支援センターの方)見つけてもらいました。けど、自分には車の免許がなくて、せっかく見つかったのにいけませんでした。ハックで送迎してくれると聞いてすごく嬉しかったです。そして、自分でも通えるように免許をとろうと思って、とれました。冬は助けてもらいたいですが、自分でなんとかいけるようになりました。ありがとうござました。」という内容でした。
すごく嬉しい手紙でした。

移送サービスを使っていく中で、スタッフと話をしたり、保護者と雑談をしたりしていく中で、免許を自分も取得しようという気持ちになり、震災前より頼もしくなったように感じました。
これが、本当の復興なのかなと思いました。

このように、移送サービスのスタッフの1人ですが、一人一人の気持ちに寄り添い小さいけれど大きな成果を挙げているのではないかと思っています。
少しずつ交通も復旧していることもあり、再度ニーズ調査を私たちなりにしています。
当初の予想では、支援ニーズは少なくなっていると考えていましたが、減るどころか増えている現実に驚いてしまいました。
バスは復旧しても、スクールバスと一緒で利用しにくくなったり、長時間の待ち時間があり、障害を持った方にとっては利用が難しかったり…。
まだまだ課題は山ずみという現実をしっかり受け止め支援していかなければと改めて思いました。

最後に、応援していただきました全国の皆様本当にありがとうございます。
復興はまだまだこれから、本当の意味での復興にむけこれからも頑張っていきたいと思いますので、これからも宜しくお願い致します。

以上
その3に続く。


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これまで届けた救援金
297,365,994円(2013年12月19日現在)

内・東日本大震災救援金総額
251,356,909円(2013年12月19日現在)

ただいまの基金残高
263,092,225円(2013年10月末日現在)

このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、
被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。
自由にお使いください。

息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043 ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。


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●東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
南相馬ファクトリー通信№6からの転載。
連絡先 TEL&FAX、0244-23-4550

「インタビュー 震災から2年、作業所で働く人を支えてきたスタッフたちに、現状とこれからの事を聞いた。南相馬を支える人たち」
・原発事故が起きて、避難できなかった障がい者、避難したが戻ってきた障がい者に対して、南相馬市は個人情報を委託する形で、約1300人に対して調査に入ることになった。
その中心となったのが「デイさぽートぴーなっつ」の施設長の郡 信子さんと理事長の青田由幸さんであった。
その後、ぴーなっつは、全国から支援に入ったボランティアを受け入れ、南相馬と全国を結ぶ役割を担った。

1.原発事故が起きて、ほとんどの市民が避難しましたが、南相馬市で障がい者の支援が始まるまでを教えてください。
・「法人内の利用者さん60名の安否確認をしていく中で、一人暮らしで最後まで避難できずに残っている人の対応をしているうち、避難所の障がい者や一旦避難したけれど避難所にいるのがきつくてすぐ自宅に戻ってきた高齢の障がい者の方の相談をするような状況が出てきました。
ほとんどの市民や、病院・福祉施設・商店も閉鎖した時で、いつの間にか、代表理事・男性職員・私の3人が残っているということで、依頼が増えてきました。
そこで、避難せずに残っている数名の障がい者のリストを市に提出し、助けてくれるよう依頼すると、「要援護者名簿があるから」「自衛隊がローラーをかけているから大丈夫」との返答がありましたが、リストにその数名の名前はありませんでした。
障がいのある人は、本当に残っていないのか、困っていないのか?という疑問になり、丁度、日本障害フォーラムと繋がって、調査が開始できるようになりました。」

2.2011年4月、日中活動の場が再開していきましたが、どのような問題があったのでしょうか?また、震災から2年が経過し、今、抱える問題はどのようなものですか?
・「安否確認後、電話や家庭訪問を続けていく中で、利用者さんの心身の状況や、ご家族の疲弊が見え始め、2週間目くらいから、再開することを模索し始めました。
でも、原発がいつ爆発するかわからない状況や、放射能の知識もなく、情報が混乱する中で、再開できるのだろうか、事業所が『屋内退避』の指示区域に入っている中、そこで、利用者さんが日中過ごしてよいだろうか、原発が爆発したらどう避難するかと迷いがありました。
その後、再開決定したものの、23名ほどいた職員が5人しかおらず、職員不足に悩まされました。
2年経過して、職員数は以前に近づき、ある程度の支援体制はできましたが、未経験の職員がほとんどで、中身の充実を考えると、まだまだこれからという段階です。
職員がやりがいをもって仕事ができる環境づくりが課題です。」

3.震災と原発事故から、失ったもの、学んだもの、得たものはありますか?
・「地震の被害は少なかったのですが、原発事故は今現在も大きく影響を残しています。
事故により、『市の生活機能が停止したといっても過言ではないでしょう』その中で、様々な支援の必要な障がいのある方々が、自宅を離れ、避難生活を強いられ、いきがいのある日中活動の事業所にも通所できず、また、医療もしっかりと受けられないまま笑顔がなくなり、心身の状況に大きな低下がありました。
『当たり前の生活』がこんなに大事だったことに気付かされ、失い戻らないことを経験しました。
でも、どうにもならないどん底から、全国から多くの方に食べ物や日用品、義援金を頂き、さらに、この地域に来ていただき助けていただきました。
手を差し伸べていただき、そばに寄り添っていただいたことは、人生の宝物になりました。」

4.最後に、全国の人に伝えたい事があれは、教えてください。
・「この地域で生活することや、事業再開することが不可能と思ったことも度々ありましたが、今、思うことはただ一つ。親身に関わり、助けてくださった全国の皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。」

以上

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