認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com

阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

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2016.06.13 Mon 【熊本地震】大阪からのボランティア・活動報告:「自立支援センター ぱぁとなぁ」

熊本支援報告
6月1日~7日 東大阪市 自立支援センター『ぱあとなぁ』 

1日(水)
空路熊本入りしましたが、飛行機から見る熊本は、ブルーシートが掛かっているのが多い地域とそうでない地域の差が激しいように思いました。
空港を出て、ゆめ風基金の東さんと合流し、タクシーで「被災地障害者センターくまもと」へ向かいました。
道中何軒かブルーシートが掛かっている家を見ました。
この時は想像していたより被害が少ないように思いましたが、タクシーの運転手さんは「地震の影響で道路がデコボコになって振動が多くなりました」と他の地域から来た人には分かりにくい被害状況を話してくれました。

「被災地障害者センターくまもと」に到着後は事務所内を案内して頂き、ボランティア情報シートを記入、支援に出ていた人たちが帰ってくるたびに名刺交換をさせて頂きました。
メンバーが大まかに揃い、17時頃に報告会が始まり、報告が終わると翌日の支援件数や内容をコーディネーターの岡崎さんが話してくれ、どこに行くかを挙手方で決めました。(この時に大体の流れを把握)

翌朝8時30分頃に事務所に集まりだして、9時からミーティング(その日の支援を再確認(変更もあり))、
支援開始時間に間に合うように出発。
午前の支援が終われば一度事務所に戻り休憩(昼食)(午後からも支援がある人はそのまま次の支援場所に行くこともある)
午後から急な相談が入ることもあり、そこに行くことも。

休み等で車が空いていれば益城町や上原村、南阿蘇等の被害の大きかった地域を見に行くことも出来る(その際に被災地障害者センターくまもとのビラ(SOS)を避難所や役場に説明し、埋もれているSOSの発掘)。

男性の宿泊場所は事務所で、女性はおれんじカフェ(就B)。
(おれんじカフェは震災の影響により営業が難しくなり現在は別の場所であおぞらカフェを営業中)


2日(木)
個別支援の予定は6件
8時30分頃に女性陣が事務所に到着し、9時より朝礼(ミーティング)。
この日の支援先を確認し、最低二人一組で出発。
この日僕が担当した相談者は、西区の男性で統合失調症。
最初の電話で友人からセンターのことを聞いて電話をされ、ボランティアをしたい。とのことでしたが、話をしているうちにこの方の自宅も雨漏りをしていることが分かったそうです。
この方の支援は初めてなので調査、少し話し相手にもなってきてほしい。ということで出発しました。

現地に着き、挨拶をして早速調査から始めさせて頂き、「雨漏りはどこからですか?」と尋ねるとその場所へ案内してくれました。
そこには確かに雨漏りの跡があったのですが、他の場所を見てみると他に4カ所(計5カ所)の雨漏りの跡が見つかりました。
その内の2カ所は天井の板が外れていて、隙間からは空が見えていました。

他に震災による被害状況を調べてみましたが、食器棚やタンス等は置いている向きが良かったのか、そのままだったようです。
外に出て瓦の状態を見ると何カ所かズレていて、雨漏りの場所と一致していました。
一通り調査が終わったので、世間話を交えながら普段の生活を聞かせて頂きました。

普段、福祉サービスは使っていないとのことでしたが、福祉課の方から封筒(開封済み)がテーブルの上に置かれてあったので断りを入れてから中身の確認をさせてもらうと、福祉サービス更新手続きの書類が入っていました。
また、現在何が困っているか?の問いには、食料品店が遠く、買い物に行けない(移動手段は徒歩)との事でした。
夕方の報告会でブルーシートを被せる必要があること、制度を利用していないのであれば、制度利用を勧める支援が必要であることを報告しました。

午前の支援が終わり、昼食後に事務所に戻ると、5月24日に支援に入って以来連絡もないことから様子を見に行ってもらえますか?とのことで東区にお住いの男性宅を訪問しましたが、呼び鈴を押し、声掛けをするも返答がなく、外観を見ているとお向かいさんが出てこられたのでお話を伺うことができました。
「自転車がないので外出していると思いますよ。帰ってくるのも時間はバラバラなので」ということや訪問したお宅が地震の影響で瓦が沢山落ちていましたが、まだ屋根の端に引っかかっている瓦があり、路地に面していること、余震がまだあるのでいつ落ちてきてもおかしくないので不安感があること。
ある程度お話を聞いて事務所に戻りました。
報告会で会えなかったことやお向かいさんと話をできたこと。家(外観)がどのような状態かを報告しました。


3日(金)
個別支援の予定は6件
この日の支援予定は2件。
1件目は益城町の高齢の男性(SOSはNHKのハートネットテレビを見て)で、現在は奥さん、娘さんの3人で避難所暮らしをされていてセンターとしても初めての派遣でした。
依頼内容は入浴介護だったので、早目に訪問して3人から簡単な聞き取りをさせてもらいました。

身体状況等
震災前は自力で入浴が出来ていたが震災後に精神的な影響なのか右足に力が入りにくくなり、両手も震えが出た。その異常が出た当初は立つのもやっとといった状態だったが日が経ち少し回復した。
トイレ、食事は自立。
入浴は出来るが、髭剃りの部分で一部介助をして欲しい。
今までは親戚に週一回お願いしていたが気を使う。
避難所は今のところが2軒目で、以前の避難所には400円で10時から利用出来たが、介護者分は無料だったので、お願いしている時間が難しければそっちでも良い(現在はANAと(株)エージーピーが提携して運営している施設12時から17時)。
期間は6月中旬に仮設が決まるのでそれまでの間お願いしたい。
以前、保健士(社協の包括支援センター)に相談したが連絡がなくSOS に(たまたまテレビを見ていて、ここ!と思った時に母が普段は避難スペースに置いている携帯をたまたま持っていて、その場で電話した)。

そして「自宅の方に未使用のポータブルトイレがあるので、必要な方がいれば使って欲しい」とのことでしたが、現場で即決は出来ないのでセンターに持ち帰って頂くかどうかを判断することにしました。
話が落ち着き、避難所の玄関で履物を変えるのに段差を降りようとした時に踏み外すような感じで転倒しかける場面がありましたが、介護者が左右すぐ側に居て支えることにより転倒は免れることができました。

入浴では、今までサービスを受けていなくて「他人に」というのが初めてで、パンツを脱ぐことに抵抗を示されていました(この時点ではまだこちらも全裸になりきっていない)が「お風呂に入るのにパンツを穿いていたらおかしいですよね?」とこちらが先に全裸になることで抵抗がなくなったようでした。
浴場入ってすぐに段差はありましたが片側に手摺が設置されており、それを掴んで頂くと共に反対側に介護者が付いて段をクリアしました。
次にバスチェアに座られる際は右足に力が入りにくいので、一人が転倒しないように支え、もう一人がきちんと座れるようにバスチェアの位置を調整して座って頂きました(備え付けのシャワー等が震災の影響で使えないので、ANAの除雪作業車のボイラー機能を活用してお湯を沸かし、浴槽へポンプでお湯を送る)。




先ず洗髪をされましたが、お湯をかぶる際に腕が上がりきらず後頭部が流せていなかったので、声掛けをして流させて頂きました。
次に髭剃りでしたが、鏡を見ながら自分でするとのことだったので、鏡の前に移動して自身でされました。
初めの聞き取りで首付近が難しいと聞いていてやはり難しいようだったので、声掛けをしようとしたら先に「お願いします」と声を掛けて頂いたのでスムーズに剃り出すことができました。

洗身は普通のタオルを使われましたが、背中を洗う時にタオルが肘に引っ掛かっていたので、背中にタオルが回るように少し補助をしました。
浴槽へ入る際にも転倒が怖いので、補助が必要でした。
入浴中はしっかり浸かることができ、また足も伸ばせることで「気持ち良い」と喜ばれていました。





浴槽から出る際、右足に力が入りにくく立ち上がるのが難しいようだったので、背後から支え少し持ち上げるようにするとスッと立つことができ、浴場を出ました。

その後の歩行は、入浴で血行が良くなったのか、行きよりも良い足取りになっていました。
そして、ご夫婦を避難所へ送り1件目は終了しました。


2件目
益城町での支援が終わり、そのまま宇城市の男性(躁鬱)の方の家の片付けに向かいました。
ここは既に午前中から支援(2名)が支援に入っていて、その増援という形でした。車で約1時間半かけて到着し、状況を聞き作業を開始しました。
先ず、「外壁が垂れ下がっていて危険だったので外した」という外壁をハンマーや手作業で運べる大きさにちぎり(針金が入っていたので、それをちぎる)猫車に乗せて別の場所に。
それが終わると、2階へ上がり(家の中は靴のまま入らないと危険な状態)濡れた畳を取り敢えず上げて少しでも水分が抜けるように立てかける作業をしました(畳と畳の隙間からキノコが何本か生えていたのは少し衝撃でした)。

その後、本人の指示で押入れ内、倉庫?内の布団を全て出しました。結局、その現場を出たのは17時になってしまいました。
それから事務所に戻って報告。
1件目は継続した支援が必要(仮設に入るまで?)なのと、ポータブルトイレの件。
2件目はあと少しだけ支援が必要(まだ片付けが必要)となりました。


4日(土)
個別支援の予定は5件
この日は予定では1件。
前日の調査で屋内の片付けをある程度すれば一般のボランティア団体で対応可能と判断。
お住いの益城町の社協を紹介することに。

この日は件数に対して人数が多かったので、人海戦術で早く終わらせよう!と4人で向かいました。
炊事場は昨日の調査の時にある程度片付けをしてきたそうでしたが、1階の残り3部屋(どの部屋も地震の影響で靴を脱いで入るのが危険だったため靴を履いたまま上がらせて頂きました)の片付けでしたが、捨てる物と残しておく物の区別が僕たちには分からないので聞きながらの作業でした。

小物、衣類等色々あり、「もうここにこづんでおいてください」と言われるも「あ!言葉が分からないですよね?」と。
たまたま福岡の久留米市議の方がこの日、手伝いに来られていて「ここに積んでおいてください」と教えてくれました。

仏壇が置かれてある部屋は仏具が落ちて灰も撒かれた状態で、周りに置いていた置物も倒れてガラスや壺の破片が散乱していました。
それらは要らなくなった服等に包み処理。
また、動物とみられる骨が出てきて「いのしし?」と話をしていると「いのししの骨です」と昔、おじいさんが狩ってきて料理をしていたと話してくれました。
そんな話もしながら作業も終わろうとした時に、「10年くらい使っている辛子色のカフェオレボウルが見当たらない」とのことで昨日片付けをされた台所に向かい一緒に行っていた人が「これじゃない?」と手にして見てもらうと当たりだったようで、すぐに見つかり喜ばれていました。

約2時間片付けをして終了し、事務所へ戻りました。

昼食後の予定は何も無かったのですが、事務局長の東さんから「Mさん宅に行ってきて欲しい」との事で午前中に一緒に活動した4人で訪問しました(この方は2日に訪問して不在だった方)。支援内容は地震で本棚が倒れて起こして欲しい。
この家に住めるのか?等沢山ありました。
4人いっぺんに訪ねて動揺されてもいけないので、先ずは2名が先に訪ねて話を伺いました。
その間に家の周りを見ていると、屋根にはブルーシートか被せられ、落ちていた瓦も綺麗に片付けられていました。
そうしていると、先に入った人から呼ばれて片付けのために中に入らせていただきました。
2階に上がり本棚をどのようにして起こすか?また、その隙間に時計が落ちていて(大切にしておられた)どうにか割れないように取り出せないか?問題と思われることがありましたが、本棚は意外と軽くて一人で持てる程でした。

そして時計を取り出せる隙間を作り、時計を取り出しました。
今度は本棚そのものを起こす作業でしたが、元々置いてあった場所にも本があり下敷きになっていたので、本棚を浮かせている間に除けてもらい本棚を起こすもグラつきがあったので、何か嚙ます物が無いか尋ねると牛乳パックを渡されましたが、何重にも折ることでグラつきを抑える事ができました。
散乱していた本は簡単に大小分けて本棚に戻し、後は自分で出来るとのことでお任せしました。

その後、他の被害状況を確認すると、階段の壁(板)がズレていて1階の部屋の壁も落ちている等ありましたが、先に片付けをしてしまうと家屋被害の調査(判定)が不利になるので、写真だけ撮らせてもらいました。

その後、久留米市議の方が本人さんと話をされている間、外に出ているとお向かいさんが外出されるところだったので、ブルーシートが掛かっている件を聞く事ができました。

「昨日朝から災害支援の車が3台くらいきて作業されていました」との事で安心しました(この災害に乗じて詐欺が横行しているそうです)。
話の聞き取りも終わり事務所へ戻り、心配されていた東さんに報告。
17時からの報告会でも報告させてもらいました。


5日(日)
個別支援の予定は3件
3日と同じ益城町の高齢男性の入浴介助でした。
避難所に着くと準備万端で車を停めたら直ぐに出てこられました。
この日は本人さんと奥さん、娘さんも一緒でした。
入浴施設に着くも時間が早く建物内で話をしていると娘さんが「昨日は友達に温泉に連れて行ってもらったのですけど、のぼせたみたいで力が入らなくなって座り込んでしまいました。たまたまその友達が介護の仕事をしていて介抱してくれて、父の話をすると、2人体制で支援してくれるって凄いね!凄く安心できるね!と言っていたんです。自分が介抱されて改めて思いました。
本当にありがとうございます」と言って頂きました。
このご家族は本当に良い家族だと感じました。

入浴の準備が出来たとANAの職員さんから声をかけて頂き入浴へ。
前回脱いだことで今回は何の抵抗も無かったようでお父さんはタオルを持って浴場へ。
石鹸類は僕が持たせてもらいました。
ご自身がされることをずっと観察していましたが、やはり腕が上がらないようで頭を流しにくそうにされていましたが、その他は問題ありませんでした(今日は洗身は無しでいいとのこと)。
湯船への出入りは前回同様に行いました。入浴が終わり避難所へ戻る途中にポータブルトイレを引き取らせて頂く話をし(前日に岡崎さんから連絡済み)避難所でお父さんを降ろして自宅へ向かいました。

自宅は避難所から歩いて10分くらいだということで、車だったのですぐに着きました。
ポータブルトイレも玄関の出しやすい所に置いてくれていました。
そしてご自宅を外から見させて頂くと裏手に被害が集中していることを教えてくれました。
また窓枠も歪んでいて壁と枠の間に隙間ができていました。
そして親戚が色々野菜を持ってきてくれたけど、「避難所で料理は出来ないから皆さんで食べてください」と玉ねぎを頂き、お風呂の洗剤まで頂いてしまいました。
避難所まで送り届けようかと思ったのですが、自宅のことをもう少ししてから避難所に戻られるとのことでそこで別れました。

午後からは時間があったので、その方の第一希望の仮設住宅(建設中)を見に行きましたが、長袖とヘルメットが要るとのことで中までは入れてもらえなかったので、警備員の方にその場でいろいろ伺いました。

この場所の仮設住宅は73棟で同居家族の多さで広さが変わる。
お風呂はユニット式で身障者用は無い。
身障者用トイレはもとからある公衆トイレを使ってもらうことになる。
スロープの予定は無いが、玄関前には1〜2段の段差を作る予定。
と障害者や高齢者には配慮されていないことなど5年前と同じ事を繰り返していることが浮き彫りになりました。

また、交通に関しては道路が土砂崩れで通行止めになっているところはまたいつ土砂が崩れてくるか分からない。
土砂を退けても次から次に流れてきて終わらない。
車での移動の場合は、抜け道はデコボコになっていたり、崩れた家の影響で通れなくなっている恐れがあるので多少時間が掛かっても大通りを通るのが良いと教えてもらいました。

そして、被害の大きかった木山地区がどんな事になっているのかを見に行ってきました。
一部損壊、半壊、大規模半壊、全壊と一つの地区でもいろいろありました。
家は大丈夫だけど小屋が潰れている。
家そのものが崩れている、傾いている。声にならない状況でした。

また、橋が2トン以上は通行禁止となっていたので行ってみると、道路と橋の繋ぎ目が横にズレていました。
テレビで見るよりも被害の状況を知ることができました。

今度は西原村へ。
西原村も被害が大きかった地域で少し見学に行ってきました。
西原村は木造の仮設住宅が建設中で、そのすぐ側には普通の仮設住宅も建設されていました。
被害状況は益城町と同じで地域によって違いました。
時間もあまり無かったので、大津(おず)町に行き、ボランティアセンターに行ってきました。
ここでは地域包括支援センターの方にお話を伺うことができ(既に別の方が一度訪問してSOSのビラを配布済み)、障害のある方の現状を教えて頂きましたが、大津では現在は支援が出来ているとのことでしたが、実際は埋もれているニーズがあるのではないかと思いました。


6日(月)
個別支援の予定は2件でその他、福祉避難所まわり、精神の病院まわり
僕が行ったのは東区にお住いの視力障害の方のお宅でした。
支援内容は落ちた瓦の残骸の撤去と、壊れた門扉をどうにかして欲しい。
という内容だったので、ここも人海戦術で7名で訪問しました。
庭に散乱した瓦礫やプランターで使っていたと思われる土が盛られていて破片を集めて軽トラに積み、土をどうするか尋ねるとそれも廃棄ということで土の中に埋もれていた瓦礫を取り除きながら袋に入れて軽トラに積みました。

残る問題は門扉で敷地内に置かれていました(近所の人たちが協力して移動させてくれたとのこと)。
物は鉄製で大きくて軽トラには乗りきらないサイズでしたが、処分して欲しいとのことで一旦そのままにしておき、どうするかを事務所で協議することにしました。
また、この日に罹災証明の書類が届いたそうで、その申請も支援することになりました。
約1時間で瓦礫の撤去が終わったので、環境センターに瓦礫を運び入れる班と事務所に戻る班に分かれました。
(僕は事務所に戻る班でしたが、運び入れ班に環境センターの場所を伝えるのに携帯を使っていて何を血迷ったのか携帯を車のボンネットとフロントガラスの段の所に置いたまま車を走らせていました。事務所に着いて同乗していた人から「こんな所に携帯が・・・誰のかな?」と言われて初めて気付きました。みなさん気をつけましょう)。

事務所で少し休憩をしていると、岡崎さんが緊急で支援が入って出ないといけなくなったとのことで、緊急用ダイヤル(携帯)の電話番をお願いされましたが、岡崎さんが出るまでの間に新しく来る方が道に迷っている(自分のセンターからもらった行き方が解りにくい)とのことで、車で迎えに行くことになりました。
僕も初めて行くところでしたが、ナビに従って無事に任務を遂行できました。
そして1時間半程電話番をしましたが、他に出ている支援は1件だけだったこともあり、電話が掛かってくることはありませんでした。


7日(火)
個別支援の予定は4件でその他、足湯手伝い、阿蘇での薪小屋修理?
この日僕は最終日で、益城町の高齢男性(3回目の支援)でした。
岡崎さんより「もしかするとNHKさんから取材があるかもしれないのでよろしくお願いします」と。

11時半に迎えに行くことになっていてもう一人のリュックが壊れたとのことで訪問前に買って行くことに。
が、車の鍵が軽トラしか残っていないことにもう一人が気付き、何故か?を究明。
ホワイトボードには4件。
事務所の車はステップワゴンが5台。
余っているハズ・・・。
ホワイトボードに書いていないのが2件あったのです。
自分が訪問するケースを除いて個別支援が3件、阿蘇班、足湯班の計5班。
軽トラが残っていましたが、乗車定員は2名。
前2回を踏まえると、本人さんと奥さんの2名が乗るのではないか?このままでは行けない!と事務所から一番近くに支援に行っている2名に電話するも繋がらず、取り敢えず直談判で軽トラと交換をしてもらえないかと。
その支援先は前日に行った場所なので住所が分からなくても行くことができました。
交換はスムーズに出来ていざ益城町へと少し車を走らせたところで「交換した先も罹災証明の申請で本人さんたちも乗るのでは?」とまた急いで引き返すと2人が軽トラで出るところでした。

話を聞くと「委任状を書いてもらったので、軽トラで大丈夫です」と安心して益城町に向かうことができました。時間的に間に合う状態なったので途中でカバンを買って行きました。
避難所に着き、2人を乗せて入浴施設に向かう車内でNHKの取材の話になりました。
どうやら前日に避難所の方に取材に来られ、その中でセンターの話をされたようで説明が出来ないので、迷惑をお掛けすると思ったのですが、センターの方が来られる時に取材となったようでした。
結果としてはこの日の取材はありませんでした。

入浴の方は動きが徐々に回復されているように見えましたが、まだ腕は上がりきらない様子でした。
この日も支援は1件だけだったので、避難所に戻って暫くお話をさせて頂きました。
震災前には奥さんは旅行が好きで、エジプトや香港、プーケットに行かれたことがあるそうで「食事は日本が一番美味しかったです。
こうして被災して、避難生活をしていても3食頂いて美味しくいただけるのが本当に幸せです」というのが印象的でした。
お父さんは元々大工をされていて、職人気質なところもあり、何を話していいのか分からないような感じで、話を振られると恥ずかしそうにされていました。

また、自分たちがいつから熊本に来ているのか?と聞かれた時、もう一人が「実は田中さんは今日が最終日になるんです」と話すと少し寂しそうな表情をされ、本当にこの人たちの生活が落ち着くまで(仮設住宅に移った後、どういった支援が必要になるのか分からない)支援できないことに申し訳ない気持ちになりました。
話が終わり、避難所を後にする時、奥さんだけでなく、お父さんも玄関まで見送りに来てくれて「ありがとうございました」と声を掛けてくれ、この人たちの支援に携わることが出来て、心残りはありますが本当に良かったと思いました。

事務所に戻り、マッタリと時間を過ごして帰阪の時間になり、みなさんに挨拶をしていると「みんなで写真を撮ろう!」となり、写真を撮って頂きました。

備えにはどういった物が必要か?というのをゆめ風基金の八幡さんに聞いてきました。
・非常食は5年とかの物が増えているが、それだと防災について考える機会は5年に1回になるので、それでは防災には繋がらない。1年の物でも半年で買い換えるようにして、その買っていたものは会議とかおやつに出せる物にしていると、同じ5年でも10回防災について考えることができる。
・飲み物に関しても非常食と同様の考え方で用意するのが良い。
・避難場所での寝具の準備は寝袋、アルミブランケット、レジャーマットがあればいい。これだと布団より収納スペースを確保しやすい。
・お湯を沸かしたりするのにカセットコンロやガスボンベも用意していると良い。
・何処かで災害があって、人を派遣するかどうか迷った場合は取り敢えず現地に人を派遣する方が良い。結果的に何もする事がなかったのなら、それでも構わない。兎に角、現地に行って現状を知る事が大事で、何もなければ溝掃除だけでも構わない。被災者は他府県、地域から人が来ることで安心できる。
とのことでした。

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