認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
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阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

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2011.09.13 Tue 当事者同士って、やっぱりすごいなぁ~と思う。

現地ボランティア情報

「8月22日(月)」
NPOちゅうぶ S 仙台に到着したのは18日。それから25日までの滞在期間7日間。私が会って話しをすることができたのは、聴覚障害者のご夫婦KさんTさんだけだった。会って話しをしたとは言うものの、「話をした」とは言い難い状況だった。 本当に印象的な日だった。

 私は、少々の手話ができるからという理由もあった為なのか、聴覚障害者の梶原さんと同じチームになった。私は多少の手話表現は覚えているものの、聴覚障害者の人たちと話したことはほとんどない。手話の読み取りも苦手で、英語に例えるならABCを読めるくらいものなのだ。それなのに、タイミングとは本当に困ったもので。彼女と同時期というだけで、手話を使わなければならない環境に放り出されたのだ。私は手話の読み取りに、目も頭もしびれる一週間を送っていた。

 19日はまず、情報収集。行政や障害者の情報を把握しているだろうと思われる団体等に電話をかける。初めて電話したのは、某市役所の障害福祉課。緊張で舌がからまわる。私の説明下手がさらに磨きがかかる。結局、「電話では教えられない」との冷たいお声が…。まぁ、当然ですよね…。そりゃ、逆の立場だったら、あたしだってこんな良く分らない電話にホイホイ答えたりしないわ…。つくづくそう思わされた。

 公の機関に電話で当たっても、個人情報に関しては教えてもらえない。当然のことではあるが、大震災という非常時であってもそれは変わらないのだという現状を目の当たりにした。「個人情報保護法の観点から」そう言われてしまえば、これ以上言い返すすべもない。当然なのかもしれないが、歯がゆかった。ただ時間だけが、空しく過ぎていくのを感じていた。

 そんな時、手話通訳ボランティアで参加してくれているHくんのお父様が公務員であることが判明。仮設住宅に住んでいる聴覚障害者三世帯に呼びかけ、お茶会を設定してくれることになった。日程や時間まで、すんなり決まった。
 「あぁ、やっぱりこういうときは現地での関係性がモノを言うのだー。」

 短期間でのボランティアの意味があるのだろうか?仙台に来る前からの疑問。そして、電話掛けするたびに、明確になるその疑問の答え。分ってはいたけど、それに無力感を感じずにはいられなかった。けれども、この時、様々な個人がボランティアとして参加する意義がなんとなく分ったような気がした。こうやって、他から人が訪れることで、新しい関係性が生まれ、次の展開が生じてくるのだ!その事実に、ぞくっとするような感動を覚えた。

 そして、22日。朝からセンターを出発。聴覚障害者三世帯に会いに向かった。
現地に到着すると、女性が2人。AさんとBさん。三世帯のうち、二世帯の奥様2人だった。とても親しい感じで仲が良さそう。梶原さんが手話で話し始めると、2人とも待ってましたとばかりに、生き生きとした表情で話し始めた。
 「もう1家族いるんですよね?」梶原さんが尋ねるとAさんもBさんも困った表情になった。なにやら、高齢で話しが通じないらしい。だから、ここに来てもらってもね…という雰囲気だった。わたしも意味が良く分らず、梶原さんも「大丈夫だと思う」ということで、そのご夫婦にも来て頂くことになった。

 その間も、AさんとBさんのトークはどんどん続く。梶原さんが入ってさらに盛り上がり、AさんとBさんの表情がきらきらする。当事者同士って、やっぱりすごいなぁ~と思う。私は、その生き生きした会話の速さについていけず、話しに加わるどころか、内容を把握することすらあきらめかけていた。
と、そこに最後の一世帯。二人とも70代くらいだろうか。ご夫婦が入ってきた。梶原さんが話しかけるが会話にならない。AさんBさんが、二人に話しかけるがそれでも通じていない様子だった。

 手話が分らない私は、ごく自然に、手話が分らないこのご夫婦と話しをすることになった。
聞き取りをするのは、今日が初めて。私は、とりあえず名前から聞こうと思った。焦りながらメモ用紙を取り出し、「名前を教えてください」と書いた。すると、奥さんが○○と名字だけを書いてくれた。下の名前も教えてほしいのだが、手話をしても通じない。しばらくすると、雰囲気を察してくれたのか、○○に続けて、奥さんの名前T、ご主人の名前Kと書いてくれた。それぞれ、指さしして顔を合わせると、「うんうん」と頷いてれた。名前を聞き出すにも10分以上はかかっていた。
 
 「二人暮らし」なのか「子供や家族がいるのか」を聞こうと思うが、コミュニケーションの方法が思いつかない。しかし、Tさんは話したい気持ちは持ってくれているようで、一生懸命に何かを書こうとはしてくれていた。Kさんを指さし、○才と書き、続いて数字の羅列を書く。そして、Tさん自分自身を指さし、○才、また数字の羅列。二人の年齢と生年月日だった。
 続いて「3月11日」と書いてくれた。私が手話で地震を表現すると、手話が通じたのか、ゼスチャーとしての理解だったのかは分らないが、TさんKさんともに、同じ地震の手話をして、「そうそう!地震!」という表情になった。
そこから、TさんもKさんもゼスチャーで話し始め、地震が起こった時のこと、避難した時のことを教えてくれた。

「いつからここに住んでいますか?」
「こまったことはありますか?」
「買い物はどうしてますか?」
 聞き取りをしようにも、どれを書いても、二人には通じなかった。Tさんが書けるのは、地名と日付と時間。それ以外は、ひらがなでも通じない。Kさんは、読もうとも書こうともしなかった。

 困った私にOさんが助け舟をだしてくれた。iPadだ。彼が、iPadでこの付近の地図+航空写真を出し、二人に見てもらいながら、指さしとゼスチャーで新しい会話を始めた。
 二人は、被災前は島で暮らし、Kさんは養殖の仕事をしていたこと。逃げた場所のこと。仮設住宅に住み始めた日。そして、いつも買い物に行っている場所。病院に通っていること。それに、いつも食べている食事のことまで分った。iPadに映しだすことで、お互いに『そうそう!これこれ!』と確認できて、コミュニケーションがスムーズになるのを感じた。今回の聞き取りで分った内容は、共通の言語があれば15分程度のものだったと思うが、それに2時間は費やした。

 聞き取りで判ったのは、今の二人の生活には、特に困っていることはないということだった。私には二人の会話を理解することはできなかったが、二人の間ではコミュニケーションが成立しており、穏やかな生活の様子が感じられた。報告そして、会議の結果も、二人には特に支援は必要ないということで終わった。

 震災ボランティア7日間の中で、特に支援を必要とする方にお会いすることはなく、あっという間に一週間は過ぎていった。ただ、TさんKさんにお会いして話しをしたことは、大阪に戻り、仕事に戻っても頭を離れない。
 震災ボランティアに参加してみて、私自身日本人である責任として、被災地で感じたことや経験させてもらったことを忘れず、伝えなければならないと思うようになった。そして、TさんKさんのように、言語を獲得する機会なく生活している人達がいるということについても、もっとたくさんのひとが、きちんと知り考えるべきことだと感じている。
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