認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com

阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

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2011.10.25 Tue 障害当事者ボランティアレポート

障害当事者ボランティアレポート
2011年10月4日
精神障害者当事者団体「いこいの場ひょうご」
高瀬 建三

ゆめ風基金御中

「被災地障がい者センターみやぎ」をご紹介くださり、有難うございました。
お礼申しあげると共に、上記センターでの5日間を報告させていただきます。

9月29日(木)
宝塚市の自宅より宮城県O市のWさんの自宅へ直行。途中、仙台空港上空より目にしたのはまだ地震と津波の爪あとがくっきり残る光景だった。付近は水をかぶり、JRから代替バスによる1時間弱でJR仙台駅着。仙台駅近辺は私の知る30年前とは別の町に変ぼうし、高層ビルが林立していた。
 仙台からWさん宅まではJRバスで1時間弱。バス停で待っていてくれていたWさんと固い握手。市営住宅のWさんの自宅へ徒歩10分。「下戸」な二人は鍋を囲んで歓談。さまざまな分野の話に及んだ。
 Wさんは宮城県内の精神病院(今は精神科病院)に30年間社会的入院。現在63才だから人生の半分を精神病院で過ごしたことになる。Wさんは病院時代の事を殆ど語らない。
 Wさんの「今」は自由に尽きる。1、2階共有のメゾネット住宅が長屋のように10戸くらい並んでいる。それが数棟。Wさんはそこの自治会長を数年つとめている。往き交う人々が声をかける。人望が厚い。モダンジャズが好きで「BOSE」で流している。静かに夜が更けていき、明日は仙台市内の精神障害者の団体へ連れて行ってくれる約束をして、私の最初の目的であるピア・サポートを果たして就寝した。

9月30日(金)
 仙台市太白区の「宮精連」(宮城精神しょうがい者団体連絡会議)のYさんに会う。精神医療、福祉問題を長時間話し合った。
 その後、太白区長町の「ピアサポートセンターそら」のKさんと会った。Kさんとはまだ暑さの残る東京で会った病友の女性だ。お互いに「震災ネットワーク」を作ろうと「阪神・淡路」「新潟・中越」「東日本」と仲間が集い、力強いネットワークを築いていく固い約束をし、2つ目の「ネットワーク」作りの目的を果たし、別れた。
 話は変るが、この夜「センターみやぎ」で食事作りをした。「かぼちゃのいんげん炊き」、「茄子とピーマンの煮びたし」、「冷奴の甘みそがけ」の3品だ。思ったより好評で、日頃のヘルパーの経験が活かせた事をうれしく思った。夜は近くのマンションでボランティア3人と計4人、6畳2間で就寝。

10月1日(土)
 少し風が強いが快晴。Tさんの運転でSさんと山元町方面へ向かった。途中、常磐線の亘理(わたり)町から山下駅の間、ガレキの山と使えなくなった住宅が数棟建ち残っている現場を見せていただいた。まだ新築の家も多い。
 近くの「ささえ愛山元」の開所記念式典に参加した。盛大だった。昼食をいただき、山元町の仮設住宅へ。「パラソル・カフェ」を楽しむためだ。もちろん主人公は仮設住宅の方々。風が強くパラソルは使えなかったが、多くの人々に参加してもらい、成功裡に終わる事ができた。「近くで沢山とれる」という「いなごの佃煮」を仮設住宅の方にもらった。おいしかった。
 この日はTさんが被災各地を案内して下さり、テレビや新聞でしか知らなかった被災地の現状を目のあたりにして、惨状を前にしてカメラを押す指も心なしか震えた。福島県境まで行き、立ち入り禁止の札と太平洋の荒波を前に足がすくんだ。私はこの日、山元町の仮設住宅でピアサポートをするためにやってきた。しかし、家族を、家を、仕事を失った人々の前で私は無力だった。「阪神・淡路」の体験を、「仮設住宅での実体験」を共に語ろう、傾聴しようと思ったが、被災地の方々は明るい希望の持てる話題を心から欲していた。これまで多くの関西系の「阪神・淡路」体験者の来場に「心」はどう動いたのか。私はどう話しかけ、どのように接して良いのかわからなくなり、現状を叩きつけられ、つきつけられた思いがした。
 「仮設住宅住民とのピアサポート」は実現しなかったが、被災地をこの目で見たという強い感覚は忘れない。TさんとSさんに感謝しつつ、仙台へと帰路についた。
 夜、宿舎近くの銭湯へ。一人で行ったので道に迷い、冷や汗をかいた。初めての土地では慎重な行動を、と改めてそう思った。

10月2日(日)
 休日。青葉区の図書館で情報収集。朝日新聞(東京本社)縮刷版の2011年3月分を何枚かコピーした。気のせいか「3・11」の記事は関西で目にしたものとは違って見えた。精神科医の中井久夫先生の記事もあった。

10月3日(月)
 来仙最後の日。朝からセンター事務所でミーティング。私は昼食の炊事当番に手をあげた。メニューは親子丼、サラダ、吸い物。早速、隣のスーパーへ買い出し。事務所近くは被災地の修理工事の最中だった。20世紀梨をむきながらTさんといろいろ話をした。「閖上(ゆりあげ)」地区の惨状をまとめた写真集を買って読んだ。前日の夜、NHKで「閖上」の特集をしていた。とても哀しい、忘れてはならない貴重な「時」を刻んだ本だった。

 9月29日に来仙してから多くの人達に会った。本当に良い人達に出会え、忘れられない日々を過ごした。帰路の仙台空港へのアクセス(JR線)が全線開通して仙台~仙台空港間が30分、630円だった。帰るのが寂しい。忙しい関西へ帰るのがしんどい。ゆるやかな「東北ペース」でボチボチと暮らして行こう。
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