認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com

阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

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2011.12.20 Tue ヒデの救援レポート、12月19日

ヒデの救援レポート、12月19日:51

読売新聞12月6日朝刊記事より
被災地の障害者支えるNPO法人ゆめ風基金(大阪市)
 3月の東日本大震災が発生した直後から被災地にスタッフを派遣した。生活に困っている障害者から情報収集をしたうえで、岩手、宮城、福島3県に支援拠点被災地障害者センターを開設した。ここではボランティアが常駐し、救援物資の輸送、介助ほか、県外に避難する費用や全半壊したグループホーム、作業所の再建援助などさまざまなニーズにこたえている。
 ゆめ風基金は阪神大震災が起きた1995年、行政の支援が行き届かない被災障害者を手助けしようと代表理事の牧口一二さん(74)らが設立。タレントの永六輔さんら著名人の協力も得て約3億円を集め、東日本大震災のほか新潟県中越沖地震やトルコ西部地震など国内外の被災地に計1億5600万円10月末現在の義援金を贈った。行政などに参考にしてもらおうと、災害前に備えておくべきこと、避難・支援方法などを冊子にまとめ、障害者の立場から提言したこともある。
 牧口代表理事は災害が起きた時、障害者は置き去りにされ、孤立してしまう。行政は支援のスピードが遅くなりがちだが、NPOは素早い判断のもと、支援が必要な被災者に重点的に資金などを投入できる。普段からのつながりを生かし、息の長い支援をしていきたいと話している。以上

被災地3県の被災地障害者センターでは、沿岸部に救援拠点を、次々と設置し、医療的ケア研修などが検討されて、活動が広がっています。それに連れ、人手が不足しています。そこで、改めて、救援ボランティアを募集します。条件は、最低1週間以上、被災地にいることが出来る人、自動車を運転出来る人、ゆめ風基金を通すこと。
電話06-6324-7702。
これから、現地は、雪の季節に入り、ますます人手が足りなくなります。志しのある方のご連絡をお待ちしております!

ゆめ風基金事務所に届いたFAX
 ゆめ風基金事務局様(元気なチャリティーができました!)はじめてFAXいたします。私は、ゆめ風基金の賛助会員?になっていると思います。Tと申します。栃木県佐野市(有限)萬屋・風の庵)例年、小室等さんにコンサートに来ていただいていることからゆめ風のことを知り、わずかですが送金させていただいています。
 今年も当ギャラリーにて震災義援金を御協力いただいた方の義援金を送らせていただきました。KとOとして・・
その後、7名の作家さんと震災チャリティーを計画し、先日、11月26-27日、大盛況に終わることができました。当ギャラリー(風の庵)がまとめ役となって、109907円を送金させていただきます。つきましては、以下7名の作家さんの住所等を記しますのでゆめ風だより等、1回だけでけっこうですので、送っていただければ幸いです。

被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、12月14日までに、200025849円です。これまでに支援した団体、個人への金額は12月9日までに、117342372円です。
このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。

東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
被災地障害者センターみやぎのしおり第3期9月1日版・その3

これまでの活動第1期・物質提供、センターみやぎ設立、避難所回りを体当たりで・・
 被災者が避難所や自宅で避難生活を送っていた第1期の活動は、物資提供が中心でした。3月中にたすけっとが独自で行った救援物資の配布数は仙台市内を中心に100件を超えました。
 3月31日付けで被災地障害者センターみやぎが設立され、ひとり、2人と県外からボランティアさんが到着、4月第2週目位からは、常時10名程の県外ボランティアの方々が活動に参加するようになりました。
たすけっとのメンバーと専従者スタッフとゆめ風基金の八幡さんが事務局体制を整える中、県外ボランティアは被災地へ車を走らせ、避難所や、通りすがりの人に声をかけて知り合いに障害者がいないかどうかを尋ねたり、とにかく体当たりで障害者を探しました。
 障害を持っている方に出逢えばお話しを聞き、困っていることを尋ね、必要な物資を提供したり入浴介助などを行いました。余震が続く中、車が届き、携帯電話が増え、ホワイトボードが届き、固定電話が設置され、時折、予想外の救援物資が届くといったカオスの中、とにかく困っている障害者を探し出しては助けることに全力を注いで活動しました。

第2期・チーム活動、拠点の設立、あすと長町でのコンサート・・
 5月の中旬くらいから、徐々に仮設への入居がはじまりました。これに伴って、被災地の空気は一変しました。困っていることを尋ねても、とりあえず困っていることはありませんという返事が返ってくることが増え、ボランティア団体に対して警戒の眼差しが向けられるようになってきました。
 緊急的な支援の要請も少なくなり、仮設住宅を回っても障害者に出逢うことが少ない中、粘り強く仮設を回り、見守り体制を把握することや、地域の社会資源を把握することに活動の主軸が移りました。このような状況下にあって、設立以降1日も休まず稼働してきた被災地障害者センターみやぎも、被災地のペースに合わせるべく、6月の中旬から日曜日のボランティア活動を休止することにしました。
 2期には、活動をより円滑に進めるため、6月の2週目からチーム形式を導入しました。北に2チームAチーム・南三陸町、気仙沼市、Bチーム・石巻市など・中央に1チームCチーム・仙台市、多賀城市、七ケ浜町、塩釜市南に1チームdチーム・名取市、岩沼市を配置して、チームごとに詳細を引き継ぎ、入れ替わるボランティア間で情報伝達ができるようなしくみを作りました。
 この時期、一ヶ月以上の長期ボランティアの方が増え、チームの主軸を担ってくれるようになり、スタッフがお膳立てをするのではなく、ボランティアとスタッフが共に活動を作るような形態が整えられていきました。これら、北、中央、南といった地域別のチームの他に、一定期間、福祉避難所を集中的に調査するチームや聴覚障害者を集中的に調査するチームを作って調査活動もしてきました。
 第2期には、日々の調査活動や個別対応の他に、いくつかの大きな動きがありました。まず、山元町で被災した住民互助福祉団体ささえ愛山元が中心になって、県南支部が発足し、6月1日付で活動が開始しました。
 6月4日はとっておきの音楽祭の前夜祭としてゆめ風コンサートが開催され、ボランティアとスタッフはその準備に携わりました。
 7月2日付で、南三陸町で被災された方を中心とした登米支部がスタートしました。
 8月23日にはCILたすけっとに最も近い仮設住宅であるあすと長町で、永六輔さんと小室等さんのコンサートを開きました。
 そして現在、チーム形式導入当初は3つの地域に分けていましたが、仙台市近郊では仮設への入居も一段落し調査活動もほぼ一区切りしたことや北に拠点が出来たこと等から、現在は、北は石巻市に絞った活動となり、南地域名取市と岩沼市は中央エリアに合体させて2つの地域区分北と中央で活動しています。
 被災地の状況には地域差があるものの、第1期の救援活動と第2期の調査活動は終焉を迎えている状況です。今後の活動は、それぞれの地域において、長期的障害者支援の具体化にむけて、仕組みづくりやしかけづくりが主軸となっていくことになります。後略以上。

 hideの最悪というか、世界史的にも、想像を超えてしまった、2011年が去って行きます。と、その前に、ひととしての、自然災害への反撃の2つのものがたり。大阪北部のゆめ風ネットの中心的団体、豊能障害者労働センターから、三度目の被災障害者支援金、70万円が届けられました。息の長い救援バザーの売り上げと、会場に設置された、募金箱を集約されたものです。小銭の混じった、ずっしりと重い、紙袋入りでした。感謝!
 以前にも紹介した、hideの畏友のおひとり、大阪吹田市にある、千里寺住職、武田達城さんが、過日行われた、箕面市民人権フォーラムの講師料の中から、3万円を救援金として、届けていただきました。これもまた感謝です。今年が最悪の年であることは、人それぞれに、想いの違いはあっても、同感できる事柄ではありますまいか。

 hideにとっての最悪のとどめは、12月初旬に届きました。
 1970年の始め頃に設立した、障害者問題資料センター・りぼん社の初代ふたり代表、ひとりは、hide。もうひとりの堺史男が、12月の始めに急逝したとの訃報がそれに当たる。届けてくれたのは、同じく、設立メンバーのひとりで、現在は、長野県白馬村で、ペンションを営む、Mだった。
 堺は、神戸大学医学部に在籍する間、りぼん社代表を務め、卒業後は、高知、札幌の病院で研修医をし、その後、大阪市福島区で、麻酔科と眼科医を開業していた。りぼん社の代表を引いてからは、ずいぶん疎遠になっていたが、時折、障害者問題総合誌「そよ風のように街に出よう」に広告を出してくれてもいた。体に悪いからと、タバコも止めてしまい、体調には、ずいぶん気を使っていたのになぁと、ガッカリ、気持ちが沈む。
 まだ、60代半ばなのになぁと。知らせによれば、糖尿病を患っていたらしい。hideが腰痛に悩まされていた時、ペインクリニック医として、金の無いhideに無料で治療もしてくれた。
 関西での障害者市民解放運動の勃興時代を、貧乏所帯をやりくりして歩き続けた相棒だった。hideたちは、本当に、本当に、貧しかった。だけど、自由な自在と、楽しい空気に溢れた時代でもあった。そんな時代の空気を共に呼吸した奴が、また、ひとり、hideを置き去りにして、伝説の門をくぐって、逝ってしまった。ただ、ただ、寂しい。涙が零れ落ちる。本当に最悪の、悲しみが溢れる年だ。宗教は、持たないが、合掌する。以上。
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