認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com

阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

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2012.02.23 Thu ヒデの救援レポート、2012年2月20日

ヒデの救援レポート、012年2月20日:59

●ゆめ風基金では、各被災地障害者センターの方々に、これまでの活動と、そのまとめを伺い、これからの活動について共に考えるために被災地3県を巡る行動をしました。
●参加理事。細井理事、永村理事、橘高事務局長、八幡理事、東京救援本部高木さん。
●期間2012年1月30日から、2月4日まで
●訪問先・センターみやぎ・センター石巻・センター登米・センター亘理・センター宮古・センター大船渡・センター釜石・センター岩手・仙台すまいる作業所・気仙沼ケアホームめぐみ・気仙沼児童デイ拠点三陸こすもすなど。
●30日・1時~センター岩手で会議。夕方、センター宮古に移動宮古泊
●31日・宮古作業所見学。センター釜石へ移動釜石泊
●2月1日・センター釜石、センター大船渡、三陸こすもす、、ケアホームめぐみ、話し合い。夕方から、南三陸町おもちゃ図書館、センター登米と話し合い。登米泊
●2月2日・登米、南三陸障害者拠点見学、センター石巻話し合い。仙台泊
●2月3日・宮城野区すまいる作業所見学、県南支部訪問。午後から、センター宮城、たすけっとと話し合い。仙台泊
●2月4日・センター宮城で話し合い。橘高、永村は帰阪、細井残留。
●これらの行動報告がまとめられましたら、改めてレポートします。

●ゆめ風基金呼びかけのお一人であった、マルセ太郎さん没後11年を偲んで、マルセ太郎読本・DVD付が発刊されました。○芸と魂・舞台裏・人間を語るマルセ太郎読本刊行委員会・編
○偉大な芸人とその類いない芸を文章と映像で知る!永六輔・古館伊知郎・小栗康平・宮本輝・木津川計などがマルセ太郎が編み出したスクリーンのない映画館など、彼の芸・魂・人間を縦横無尽に語る!
貴重な立体講談2本を初めて収録。没後10年記念出版。
○A5判210ページ●2350円
○発売・かもがわ出版○発行・クリエイツかもがわ
●マルセ太郎のお笑い芸・芸人マルセ太郎の芸と魂・舞台裏のマルセ太郎・人間マルセ太郎・舞台のないマルセ太郎劇場
●申し込みは、●神戸芝居カーニバル実行委員会
○神戸市中央区東川崎町1-5-7・神戸情報文化ビル3F・文化村
○FAX0797-77-4657
○hideは、もう買いましたよぉ!(笑)

 被災障害者支援ゆめ風基金に寄せられた救援金、金額は、2012年2月18日現在215,033,851円。これまでに支援した団体、個人への金額は2012年2月21日現在 123,599,050円
その他、台風12号被災地に、2942828円。フィリピン洪水被災地に1000000円の支援をしました。
 このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事、障害者問題総合誌そよ風のように街に出よう編集長、バクバクの会事務局員でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。
息の長い救援が求められています。長期戦です。救援金の送り先は、郵便振替口座00980-7-40043ゆめ風基金です。;とうほく;と書いてください。

東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
被災地障害者センターみやぎ・石巻支部の文集No.1からの抜粋1編
●大震災と医療的ケアが必要な障害者の対応○新田綾女母・理恵
○TEL&FAX・0225-25-5388
 3月11日、東日本大震災当日、その日は石巻支援学校に通う次女の小学部卒業式が午前中にあり、夫婦で出席しました。長女は、学校が休みで友人宅に遊びに行っていました。午後に卒業式を無事に終え、3人で自宅に戻り一息ついていると地震がありました。立っているのが困難なほどのとても強く、とても長い揺れでした。
 揺れがおさまらないうちに、すぐに停電になり、外からは、大津波警報の発令を知らせるサイレンと、避難を呼びかけるアナウンスが聞こえてきました。揺れがおさまってすぐ長女と携帯がつながり、無事でいる事と安全な場所にいる事が確認でき、それから避難の準備を始めました。
 次女は重度の障害があり、気管切開からの痰吸引と、胃ろうからの栄養注入などの医療的ケアが必要です。吸引器や薬、栄養剤など、とにかく娘に必要な物品を一式持ち、車で近くの高台へ避難しました。早めに避難したので渋滞に巻き込まれずに山の上にたどり着くことができました。
 その後は津波の被害状況など詳しい情報が分からない状態で動くことも出来ず、暖房もなく、何百人もの人達が避難して来ていて、横になるスペースもない状態でした。そんな中にはとても娘を連れて行けないと思い、一晩中車の中で過ごしました。
 二日目夜が明ける頃、家には戻れないくらい津波の被害が大きい、ひどい状況だと知り、そこから近くにある親戚の家へ向かい、しばらくお世話になることになりました。そこは津波の被害は無かったものの、ライフラインは完全に寸断されていました。
 吸引器の電源は車からとり、なんとか確保していましたが、そのうちにガソリンの残りが少なくなってきました。その後は、足踏み式の吸引器を使い何とか乗り切ることが出来ました。吸引に使う物品などは、娘の学校のお友達から分けて頂きました。薬や栄養剤やおむつは、主治医の先生が手配して下さり、酸素の業者の方が避難先まで届けて下さいました。
 その他の足りない物などは、保護者仲間やボランティアの方に届けて頂き、娘に必要な物は何とか揃いました。たくさんの方々に助けてもらい、非常時は切り抜けることが出来ました。
 次に待っていたのが、住まいの問題でした。自宅は津波で全壊したため、仮設住宅の入居を希望しました。3月末、市役所へ申し込みに行くと障害者は優先されると説明がありました。すぐに入居出来ると思い待っていましたが、抽選に何度もはずれ、入居出来たのは、4ケ月後の7月でした。
 スロープ付きの仮設を割り当てられ安心していましたが、玄関の幅が狭く車椅子が通れません。家への出入りが大変だったので窓側にスロープを設置してもらいました。その他にも、お風呂に段差があったり、駐車場が砂利だったり、障害者や高齢者にはとても住みにくい環境です。改修工事もなかなか進まず、いつになるか分からない状態です。件数が多く大変なのも分かりますが、最初からきちんとバリアフリーの仮設住宅を建てていればこのような問題は起きなかったと思います。
 仮設の生活にも少しずつ慣れ、気持ち的にも少し落ち着いてきた今、これまでに経験してきたことを少しでも多くの方に知ってもらい、障害者にとって住みやすい地域にしていくことが私達被災者の務めだと思います。
 今回、多くの方達に助けて頂き、たくさんの出会いもありました。被災地障害者センターみやぎのみなさんとも震災後に出会い、活動が始まりました。どんな障害があっても、地域で当たり前に暮らしていけるよう、これからみなさまの力を借りながら活動していけたらと思っています。

●みやぎボランティア・市民活動情報誌、杜の伝言板月刊・ゆるる1月号特集からの抜粋。●ゆるる編集部○TEL022-791-9323○FAX022-791-9327
●合い言葉はやっぺす○石巻復興支援ネットワーク
●TEL&FAX0225-23-8588
●石巻復興支援ネットワークは、石巻市で子どもの環境教育や子育て中の親を支援する活動をしていた任意団体・子どもと環境を考える会が母体となり、震災後に被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト・つなプロの協力を得て、5月に石巻復興支援ネットワークを立ち上げました。
 メンバーの12人は大半が地元のお母さんという構成で、地元の方々にもやっぺす隊の愛称で親しまれています。やっぺすという言葉は、一緒にやりましょうの意味で、頑張ろうや頑張ってという言葉に少々疲れてきた時期にやっぺすという地元の言葉を使って活動するようになりました。

○震災発生時から空白の3日間
 3月11日、代表の兼子佳恵さんは、中学三年生の息子さんと連絡が取れないまま一夜を過ごしました。息子さんは避難所で一泊し、腰まで水に浸かりながらなんとか帰宅。その第一声が避難所に戻りたい。でした。避難所の大変な状況を目の当たりにし、食料や毛布を持って戻り、助けたいという思いがあったのです。しかし、余震が続き、街中の海水も引いていない状況で、外に出すことは出来ませんでした。
海水が引いた3日後、息子さんは避難所に食料や毛布などを持って行きましたが、なんでもっと早く行けなかったんだ。もっと早く行きたかった。と言いました。
 この息子さんのもっと早く行きたかった。といった言葉が兼子さんの背中を押し、石巻復興支援ネットワークの活動の糧になっています。この空白の3日間を埋めることにできないですが、目の前にある沢山の問題を一つでも解決していきたいと活動をしています。と兼子さんは言います。
 その後は子どもの居場所づくりの支援を行うと共に、石巻市には多くの外部団体や企業が訪れて来ていたためマッチングやコーディネートを行っていました。震災後に千回以上の名刺交換をし、多くの団体や企業を繋げています。
 また、石巻の中高生と阪神淡路大震災の被災地である神戸の学生交流や、震災後石巻市の中高生が中心となって活動している団体WMIの一万本ミサンガ作り支援を行うなど、子どもの活動支援を継続して行っています。

○仮設住宅でコミュニティーづくり
 8月からは石巻市開成地区の仮設住宅1150世帯のコミュニティー形成の支援を継続して実施しています。ただイベントを開催することだけが目的ではなく、年齢や男女に関わらず、参加者に隔たりが無くなるように心がけています。と兼子さん。
 仮設住宅の集会所では、お茶会やミニ居酒屋、将棋やカラオケ、縁台や物置づくり、手芸やメイク、詩吟やヨガ教室などを開催しています。イベントを行うことで孤独死や自殺の予防にもつながり、参加者が普通の生活に戻っていけるように自立を促す形を取りながら行っています。と事務局長の渡部慶太さんは言います。
 また、集会所での様々な教室もやってあげるやってもらうということではなく、一緒にやることで、徐々に住民自らがイベントを企画・運営ができるようにサポートしています。年末31日から1月3日までは、鍋を囲んで紅白を見たり、餅つき大会などもします。

○復興支援ソングやっぺす石巻石巻復興支援ネットワークでは、神戸市のシンガーソングライターの石田裕之さんと共同で制作した復興支援ソングやっぺす石巻のシィディを販売しています。
 この曲は、震災から少しずつ前に向かって進んでいる被災者の姿を描いています。忘れないでね~みんなまだはじまったばかりです~いつか元気を返せる日まで~今日も笑顔でやっぺすという歌詞の通り、石巻復興支援ネットワークは、笑顔で住民と一緒に活動し、地元の団体として長期的に支援を行っていきます。以上以上。
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