認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com

阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

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2012.11.06 Tue ヒデの救援レポート:2012年11月5日№94

ヒデの救援レポート:2012年11月5日№94

完成!
東北関東大震災障害者救援本部制作・ドキュメンタリー映画
「逃げ遅れる人々~東日本大震災と障害者」
●大震災のなか、障害者はどう逃げたのか。
どんな避難生活をすごしたのであろうか。
この事実を多くの方々に知っていただきたい、また記憶から
忘れ去ることがないようにしたい。
そんな願いから制作にかかりました。
詳細は救援本部まで、お問い合わせください。
TEL 042-660-7747 FAX 042-660-7746





★「南相馬ファクトリー通信3号」から
南相馬ファクトリーは、6つの作業所の震災復興プロジェクトです。
福祉事業所が、共同でカンバッジを作っています。
連絡TEL&FAX 0244-23-4177

・震災と原発事故の時、障がい者は避難できたのか?
福島第一原発事故により、南相馬の市民7万人のうち、約6万人が避難したと言われている。
その当時、「屋内退避」が求められ、食料やガソリンも手に入らない状況だった。
避難できなかったのは、病人、老人、そして障がいを持った人達とその家族だ。
避難した障がい者も、避難生活になじめず、4月に入ると戻りはじめた。

原発から30キロ圏内は、「緊急時避難準備区域」となり、緊急時は避難しなくてはならない。
市は、要援護者リストに基づき、避難計画を策定したが、多くの障がい者が入っていなかった。

JDF被災地障がい者支援センターふくしまと地元の福祉施設「ぴーなつ」は、
市からの委託で、障害者の手帳の保有者1139人にローラーをかけ、訪問調査を行った。
調査に加わったのは、全国からかけつけてくれた障がい者の事業所の職員である。
避難しても、障がいを持つ人が避難所で生活することは困難だった。

障がいの重い軽いに関係なく、支援の必要に迫られ、支援者も避難している中で、
障がい者の事業所が再開していった。

●カンバッジで「福島」を支援してください!
・例えば…特注バッジ~あなたの会社、団体、イベントで、オリジナルバッジを作りませんか?
25ミリ、30ミリ:1個125円
44ミリ、57ミリ:1個150円

カンバッジ・マグネットもあります。
デザイン加工料は、相談ください!


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

これまで届けた救援金
        224,247,749円(2012年10月19日現在)

被災障害者支援ゆめ基金が東北被災障害者支援した救援金(東日本大震災への救援金総額)
        175,909,050円(2012年10月19日現在)

ただいまの基金残高
        258,210,574円(2012年9月30日現在)

その他、届けた救援金
台風12号関連    2,942,828円。
フィリピン洪水関連、1,000,000円です。

このメールは、東北関東大震災被災障害者救援に関する、「被災障害者支援ゆめ風基金副代表理事」、
「障害者問題総合誌【そよ風のように街に出よう】編集長」、
「バクバクの会事務局員」でもある河野秀忠が感じた、各方面の被災障害者救援活動のあれこれの個人的レポートです。
広く知ってもらいたいので、転送自由。自由にお使いください。


息の長い救援が求められています。
長期戦です。
救援金の送り先は、
郵便振替口座:00980-7-40043:ゆめ風基金です。
「とうほく」と書いてください。


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆



★東日本大震災救援活動の中のボクの風景。
「hideの70歳の『闘争宣言』その4
○サヨナラとコンニチハの記憶

・左側世界を追放され、ぶらぶら無職生活の中で、ゴッツンしたのは、
部落解放運動&狭山差別裁判糾弾闘争だった。
詳しく書くことは、出来ないが、東京・日比谷公園の中央集会や狭山現地調査などに、
たびたび参加した。
それらの活動の中で出逢ったのが、片足を引きずって歩く、SP障害者のO君だった。
hideの身近に登場した最初の障害者。
話し込んでみると、妙にウマが合い、なんの知識のないままで、O君が「障害者解放の会」、
hideが「障害者の闘いを支援する会」のふたつの組織を旗揚げ。
組織を名乗っても、どちらも、会員1名ずつ。
活動は、もっぱら、「障害者の人権を守れ」のステッカーを、
夜な夜な電柱に貼ることばかり。

何度も、警察のお世話になりました。
そのたびに、ふたりの意気は、天を衝く。
ふたり共、無職無頼。
ものスゴく、ビンボーだった!
そんな日常の中に、青麦印刷という、小さな印刷所を経由して、
hideたちの前に現出したのが、アノ、名画「映画『さようならCP』~青い芝の会神奈川連合会制作」だった。

その時点から、hideたちの生活は一変した。
上映実行委員会を組織するべく、右往左往。
各大学の障害者関連のクラブを回って、委員会に参加を呼びかけ、
事務所が必要だからと、当時、hideが関係していた、水俣病反公害団体が借りていた、
新大阪駅前のマンションの一室に押しかけた。

もちろん、無料の押しかけ事務所。
上映実行委員会は、その後、議論百出。
学生共は、理屈まむし。
さんざん議論した挙げ句、障害者がひとりしかいない上映実行委員会では、
上映の責任が持てないと、大半の学生共は、去って行き、残ったのは、
近畿大学と、神戸大学のチョロッとと、hideたちだけ。

勝手にしゃがれという、メチャメチャの体制で、無謀上映運動開始!
会場を借りて、あちこちにポスターを貼り、上映をする。
映写機を操作出来るのは、hideのみという心細さ。
そんなワケ判らずの無謀ができたのは、hideたちが観た『さようならCP』が、
hideたちの持っていた、障害者観を粉々に砕き、
えもいわれぬ感動を与えてくれたからにほかならなかったからなのだ。

まぁ、とはいえ、お客が集まらないと、上映会にならないからと、気を揉んでいたが、
案ずるよりも、産むが易しで、初回より、観客が詰めかけた。

何よりも嬉しかったのは、障害者の姿が多かったことだった。
その中から、今日の障害者解放運動を担う人たちが多く輩出された。
そんなこんなの状況の中、上映依頼、フィルム貸し出しが、徐々に増えて、
財政も安らかになり、上映規模も全国化していった。

こうして、hideは、障害者市民運動に、コンニチハをしたのだった。
そして、神奈川連合会からの連絡。
上映会ごとに、障害者自身が、話しをするべしとの指示が届いた。

すでに、上映委員会には、障害者が増えていたけれど、話ができるひとは、皆無、
だったから、神奈川連合会から、人を派遣するときた。
さぁ、やってくるぞの、「日本脳性マヒ者協会・青い芝の会!」

続く





ゆめ風基金事務所の出入り口のドアが、自動式に改造されました。
これで、車イス使用者の方も、入り口で、右往左往せずに済みます。
トイレも広くて、使い勝手がよろしい!
どうぞ、いつでも、おいでくださいな!?

以上!


ヒデの救援レポート:2012年11月5日№94
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