認定NPO法人 ゆめ風基金〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-13-43-106/TEL:06-6324-7702・06-6324-7703
FAX:06-6321-5662/E-Mail yumekaze@nifty.com

阪神・淡路大震災を機に地震などで被災した障害者を支援する団体。全国の障害者運動と永六輔さん、小室等さんをはじめ各界の多数の方々を呼びかけ人とし、自然災害の被災障害者への救援・支援をつづけています。

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2013.07.13 Sat 会員さんから、被災地訪問レポートを頂きました!その1

ゆめ風基金の会員さん、夏美さんから、被災地訪問をした、そのレポートを頂きました!

是非、ご一読&【拡散】してください♪




2013/6/30~2013/7/4
 ダウン症のベリーダンサーKさん東北ツアー

6/30 (日)福島

福島県南相馬市の田原町でピープルファースト総会が行われた後、マイクロバスで福島第一原発から8kmの福島県双葉郡浪江町を見学した。
私の父、奈良県にある「ひまわりの家」の渡辺が福島県南相馬市に拠点を置くNPO法人サポートセンターぴあと連携し実現したツアーのようであった。

浪江町は住人の一時帰宅は許されているものの居住禁止区域で、町に入るのは許可証が必要だ。
白いゲートの前には警備員が立っており、許可証を見せて車が入っていくシーンは仰々しい。町はもぬけの殻でゴーストタウンであった。
不謹慎にも、まるで映画の撮影所を観光しているようだと感じた参加者は少なくないはずだ。

今回見学したエリアは原発事故後高濃度の放射能が風に乗って通ったゾーンより少しずれているのでその日の線量は0・076mSv(2013年7月5日現在大阪市此花区区役所の数値は0.046mSv、環境省設置の線量計による)くらいだったが、原発に近いため復旧作業ができず、震災後そのままの状態で放置されている。

ペシャンコに潰れた車、文具やせっけんなどがそのまま棚に陳列してある商店、折れた電柱。伸びた雑草以外は震災の年の6月に沿岸部で見た景色と変わらず、時間が止まっている。

道中、ぴあの代表理事である青田さんが震災時の様子を語ってくれた。
本震の後に大きな余震が続き、およそ10分間は立って歩くことすらできなかったそうだ。
地震から津波到達まで30分とすると、やっと避難しようと動き出した時はもう20分しか残っていない。
その間に一体どこにどう避難するか。

「その時考えていたのでは間に合いませんよ、どうしますか?道路と橋の間に亀裂が起こるので橋は渡れませんよ。エレベーターは止まっていますよ。利用者を連れてどこに逃げますか?福祉の仕事に就いているということは、そういうことですよ。」
という青田さんの言葉は、重度の身体障害がある利用者のお宅で週数回も夜勤をしている私にはあまりに重く、私は
「避難シュミレーションもないままで大災害に遭ったら、利用者共々死ぬ確率が高いな。なんて大きな宿題をもらったことか。」と唖然とした。

青田さんからは、震災後利用者の安否確認が取れなかったこと、子供がいる女性職員が一生懸命動いてくれていたが「青田さん、次に余震が起きたら子供のもとに帰らせてください」と言われ「利用者のことばかり考えてスタッフの家族のことをまったく考えていなかった」と反省したことなども語ってくれた。
「災害後どのスタッフが動けるか。子供がいる女性は動けませんよ。誰が動けるかシュミレーションしておかないといけませんよ。」と青田さんは言う。


7/1(月)

サポートセンターぴあの施設のひとつで、南相馬市で日中受け入れや生活介護を行っている「ぴーなっつ」でピープルファーストメンバーと施設利用者との交流会に参加。
ピープルのメンバーは自己紹介をし、前日の被災地見学で感じたことを述べた。

北海道から来た女性は「テレビで見るのと実際に見るのでは全然違った。たくさんの仲間が亡くなったということが悲しすぎて、・・・」と涙で言葉を詰まらせた。
ぼうぼうに茂った草の下には建物の基礎が残り、折れた柱が無造作に放置され、よく見ると割れた食器の破片などそこに人が暮らしていた証拠が落ちている。

私がヘルパーとして同行したダウン症のKさんも、初めはいまいち状況が掴めない感じであったが、被災地を見ることでそこで起きた出来事を想像し、被災した小学校を見た後は「子供さん亡くなったん?」と自ら質問するほどであった。
実際に見るのが一番早いし、大切だと思った。
障害があってもなくても、世の中で何が起こっているか知るということは重要であるし、その人の人生に少なからず影響を及ぼすと感じている。

自己紹介タイムでは、私はこんな紹介をした。
「こんにちは。大阪から来ました永村夏美です。私は震災の年の6月にピープルの人たちと一緒にここを訪問しました。放射能は目に見えないのでどれくらい怖いものなのかよく分からなかったけれど、ここへ来て施設長の郡さんのお話を聞いて、原発事故によってたくさんの人が苦しんでいるということを知って、もう原発はこの世の中には必要ないと分かりました。だから大阪でも、原発はいらないと考える人と一緒に道を歩いて、原発はもうやめてくださいとアピールしたりしています。今日は、大変な思いをしている人たちに少しでも楽しい時間をお届けしたくて、Kさんと一緒にダンスをしますので、よかったら一緒に踊りましょう。よろしくお願いします。」

今思えば2011年の6月、ぴーなっつのある辺りは相当放射線量が高かったと思うが、勉強不足の私はそんなことは何も考えずピープルの人たちの活動について行った。
ぐにゃぐにゃに折れ曲がった火力発電所の煙突を見学する時雨が降っていたが、私もピープルのみんなも普通に雨に濡れていた。
参加したボランティアの一人が雨に濡れまいと車から降りてこず、なんて慎重な人なんだと思っていたが、彼女には知識があったのだ。
その時の私には原発や放射能に関する知識はほとんど無く、そこに残された人たちがどのように暮らしているか知りたい一心だった。私の父も同じだったようで、「あの時郡さんに“こんな線量の高いところによくぞ来てくれた”と言われて、“え?そうなの?”と思ったほどだった。」と言っていた。
わざわざ被曝しにいくようなものだった。
けれど、そこに赴いた人が事実を目撃した意味は大きい。
その時聞いた施設長の郡さんのお話はあまりにリアルで重く、私が反原発を誓うきっかけとなった。

その時郡さんはこのような内容を語ったと記憶している。
「原発事故が起きて、ある夜突然住民が公民館に集められました。“避難したい人は、明日の朝10時にここへ来てください。避難用に観光バスを手配しています。行き先は分かりません。車で逃げたい人にはガソリンを10リットルあげます。それで自分で逃げてください。ここに残りたい人は残れますが、自己責任です。”そう言われました。自閉症の人が行き先もわからないバスに乗って避難できますか?ガソリン10リットルで、どこまで逃げられますか?私たちは、ここにお米の備蓄が少しあったので、そのお米を炊いてみんなでおにぎりをして食べようと決めました。そうして私たちはここに留まっています。」

私は今でもその話を思い出すと悲しくて悔しくて涙が出る。
選択肢を与えられたようで、実際彼らは選択肢を持っていないのだ。
反原発の人間がネットなどで「なんで逃げないの」と軽く言い放ち留まる人を非難するのには本当に腹が立つ。

見て来いよ。
様々な理由で逃げられない人たちを。
その逃げられない人たちを見捨てるわけにいかないとそこに留まり支え続ける人たちを。

そう思う。


ぴーなっつでのベリーダンスは大いに盛り上がった。
きらびやかな衣装をまとい堂々と踊りを披露するKさんのダンサー魂には毎回感服する。



ぴーなっつの利用者で高齢の女性が踊り好きらしく、Kさんが踊るやいなや一緒に踊っていた。
最後は私がレクチャーをしてみんなが踊った。
ピープルの支援者のひとりに「踊りは世界共通のコミュニケーション。
Kさんみたいに踊れるっていいね」と言って頂いた。
音楽や踊りは人を解放し、人に喜びを与える。なんといってもタダでできるというのがいい。
今後このような繋がりが増えることを期待している。




原文ママ~続く!
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